西九州新幹線は"交通"の話ではない(連載③)
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この記事は橋本剛さんのFBの投稿を参照しております。

西九州新幹線の話題になると、
必ずと言っていいほど、こうした言葉が並ぶ。
「利用者が少ない」
「費用対効果が合わない」
「在来線がどうなる」
どれも間違ってはいない。
だが、どれも核心ではない。
はっきり言っておきたい。
西九州新幹線は、交通の話ではない。
これは、長崎がこれからどう生きるかという、地域の意思の話だ。

新幹線は、単なる移動手段ではない。
それは「国が、どこを日本の骨格として位置づけるか」を示す装置だ。
新幹線が通るということは、人と物と情報の流れの中に、その地域が組み込まれるという意味を持つ。
逆に言えば、つながらないということは、静かに、しかし確実に周縁へ追いやられるということでもある。
だからこそ、この問題は難しい。
佐賀県の事情も分かる。
在来線の負担、地元の不安。
どれも正当な懸念だ。
国もまた、「前例」や「制度」や「財政規律」を盾に、簡単には動かない。
ここで必要なのは、正論でも、感情論でもない。
覚悟だ。
「どうしても、長崎を次の時代につなぐ」
その意思を、誰が、どこまで背負えるのか。
この局面で問われているのは、調整の上手さではない。
腹をくくれるかどうかだ。
https://x.com/i/status/2014608329390358662
もし、平田研さんが知事になり、鈴木史朗市長と同じ方向を向いたとしたら。
二人とも、**国土交通省**の論理を知っている。
国がどこで迷い、どこで動くのかを知っている。
これは精神論ではない。
現実的な交渉力の話だ。
西九州新幹線は、「便利になるかどうか」を問う事業ではない。
長崎が、国の未来構想の中に居続けるかどうかその分水嶺だ。
だから私は思う。
この問題を先送りすること自体が、すでに一つの「選択」なのだと。
動かないという選択。
縮んでいく未来を受け入れるという選択。
この選挙は、その選択を変える最後の機会かもしれない。
JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次





