≪速報≫「長崎県・外間雅広議長辞任」軽率だった、で済むのか!

県予算記事をめぐり外間議長が辞任を表明した。
『西日の一ノ宮記者に資料は渡していない、写メされたかは分からない』という不可解な説明には呆れるばかりである。

長崎県政に、またしても耳を疑うような事態が起きた。
令和8年5月30日付の西日本新聞に掲載された、長崎県の予算案をめぐる記事が発端である。
見出しには、「県予算案 総額7788億円」「肉付け後 次世代支援基金設置へ」と大きく報じられている。
この報道をめぐり、外間議長が各派代表者会議の場で、「議長を辞する」旨を自ら発表したというのである。
理由は、西日本新聞から取材を受け、答えたことで記事になったため、「軽率だった」というものだという。
だが、問題はここからである。
外間議長は、資料やペーパーを記者側に渡したことについては否定した一方、資料を写メされた可能性については、「わからない」と説明したという。
これは本当に、それだけで済まされる話なのだろうか。
議長とは「知らなかった」「わからない」で逃げられる立場なのか

県議会議長といえば、県民の代表である県議会(立法府)のトップである。
予算案に関わる情報、それも県民生活や県政運営に直結する重要情報について、正式な公表前に外部報道へつながるような状況があったのであれば、その責任は極めて重い。
もちろん、現時点で外間議長が意図的に資料を提供したと断定することはできない。
しかし、取材を受けて答えたことは認める
• その結果、記事になったことも認める
• ペーパーを渡したことは否定する
• しかし、写メされたかどうかは「わからない」
• そして、自ら「軽率だった」として議長辞任を表明する
この流れを見れば、単なる雑談や一般的な取材対応では済まない事情があったのではないか、という疑念を県民が抱くのは当然である。
「軽率だった」は便利な言葉だが、説明責任の代わりにはならない
政治の世界では、問題が表面化すると、しばしば「軽率だった」「誤解を招いた」「配慮が足りなかった」という言葉が使われる。
だが、今回問われているのは、言葉遣いの問題ではない。
なぜ、県予算案に関する情報が新聞記事として出ることになったのか。
どの情報を、いつ、どのような形で記者に説明したのか。
その場に資料は存在したのか。
記者が資料を撮影できる状況だったのか。
そもそも、その情報は議長が外部に話してよい段階のものだったのか。
ここを明らかにしないまま、
「軽率でした。だから辞めます」
で幕を引くのであれば、それは責任を取ったというより、説明から退場しただけに見えてしまう。
辞任は、説明責任を消してくれる魔法の消しゴムではない。
ペーパーは渡していない。しかし「写メされたかは分からない」
特に不可解なのは、この説明である。
資料を渡していないのであれば、なぜ「写メされたかは分からない」という話になるのか。
写メされる可能性が問題になるということは、少なくとも記者が何らかの資料を見ることのできる状況があったのか、あるいは議長自身が資料を手元に置いたまま説明していたのか。
そこを曖昧にしたままでは、疑問は深まるばかりである。
しかも、予算案は県民の税金の使途を決める極めて重要な情報である。
議会内部の情報管理がこの程度の認識で行われていたとすれば、議長個人の軽率さだけではなく、県議会全体の情報管理体制そのものが問われる。
辞任で終わりではない。ここからが本当の調査である
外間議長が辞任を表明したこと自体は、事態の重さを本人が認識した結果なのだろう。
しかし、県民が求めているのは、ただ首がすげ替わることではない。
求められているのは、事実の解明である。
各派代表者会議でどのような説明がなされたのか。
外間議長は記者に何を話したのか。
資料は提示されたのか。
写真撮影の可能性がなぜ否定できないのか。
情報の取扱いに問題があった場合、誰がどのような責任を負うのか。
これらを議会として明らかにしなければならない。
議長の辞任をもって、
「はい、この話はこれで終わり」
などという幕引きは到底許されない。
県民の税金を扱う場で、情報管理まで“なあなあ”では困る
長崎県政では、これまでも公共事業、業界との関係、行政の説明責任をめぐり、県民が首をかしげる問題が繰り返されてきた。
そこへ今度は、県予算案の記事化をめぐって、議長が辞任する事態である。
県民から見れば、
「一体、この県政はどれだけ緊張感を失っているのか」
と言いたくもなる。
予算は、議員や行政職員の私物ではない。
議会内部の情報も、身内の感覚で軽々しく扱ってよいものではない。
県民の税金を預かり、県政を監視する立場のトップであった人物が、取材対応をめぐって「軽率だった」と辞任する。
しかも、資料が撮影されたかどうかについては「わからない」。
これほど県民を置き去りにした説明があるだろうか。
逃げるな、説明せよ。外間議長辞任で終わらせるな
今回の問題は、外間議長ひとりが辞めれば済む問題ではない。
議会は、外間議長の説明内容を正式に記録し、公表すべきである。
必要であれば、西日本新聞の報道に至った経緯についても、議会内部で調査すべきである。
そして、情報管理に不備があったのであれば、再発防止策を県民に示す責任がある。
「軽率だった」
「渡してはいない」
「写メされたかは分からない」
そんな曖昧な説明だけで、県政のトップ級の問題を終わらせてはならない。
辞任は終点ではない。
むしろ、疑惑解明のスタート地点である。
県民が知りたいのは、誰が辞めるかではない。
何が起きたのか。なぜ起きたのか。そして、誰が本当の責任を負うのか。
長崎県議会は、今こそ正面から説明すべきである。
JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次





