下地幹郎後援会LINEに流れた≪お涙頂戴作戦≫

下地幹郎、下地米蔵(大米建設)の「兄弟愛♡」
そんな書き出しで、下地幹郎氏をめぐる長文が後援会のグループLINEに投稿された。

内容を一言でまとめれば、こうだ。

「弟は沖縄を思って知事選に立とうとした。兄は会社や従業員を守るため反対した。兄弟は対立したが、どちらも心では泣いている。これは沖縄政治改革の第一歩ではないか」
ずいぶん都合のいい『兄弟物語』である。
政治家を評価するのに必要なのは、兄弟の絆でも、家族の涙でもない。
何をしてきたのか。誰と組んできたのか。
どの選挙で、どのような役割を果たしたのか。
掲げた政策を、どれだけ実現したのか。
そして何より、現在関わっている事業や会社経営について、県民に説明できるのか。
問われているのは、そこではないか。
「兄の会社」を持ち出したのは誰なのか
投稿では、兄の会社について、県内では中堅所の建設会社、公共工事など請け負う事が多いと、わざわざ説明している。
さらに、知事選への立候補をめぐり、心理的圧迫や従業員の生活を守る大切な立場
から、兄が反対せざるを得なかったという。
しかし、この説明は美談どころか、別の疑問を呼び起こす。
公共工事を請け負う会社と、県知事を目指す政治家との近い関係について、利益相反や県政との距離をどう整理するのか。
もし家族の会社や従業員への影響が、政治家としての進路を左右するほど重大なのであれば、それは「かわいそうな兄弟の話」ではない。
むしろ、有権者にきちんと説明すべき政治的な問題である。
マイクを持たされたから発言した?
投稿には、対立候補側が意図的に兄にマイクを持たせ、弟を批判させたという趣旨の記述もある。
だが、成人した経営者が公の場で発言した以上、その内容には本人の責任が伴う。
「マイクを持たされた」「社会の風は薄情だ」「本当は心で泣いている」
そんな説明ですべてを人情話に変えてしまえば、政治上の判断に対する検証はできなくなる。
選挙は、琉球ドラマの撮影現場ではない。
有権者が選ぶのは、『泣ける物語の主人公の話』ではなく、暮らし、雇用、税金を預けられる知事である。
「県民の苦労を思うなら正しい道を歩むしかない」
投稿の中では、下地氏の言葉として、
県民の苦労を思う時、俺は政治家として正しい道を歩むしか無いのだ、兄貴許してくれ、記されている。
実に韓国ドラマ的なセリフである。
しかし、県民が知りたいのはセリフではない。
下地氏がいう「正しい道」とは、具体的に何なのか。
なぜこれまで重要な選挙のたびに古巣と対立し、保守陣営から強い不信を招いてきたのか。
玉城デニー県政とは、対決するのか、協調するのか。
知事選に出馬するなら、現在関係する企業や事業をどう整理するのか。
そして、久米島航路を担う事業の経営と運航責任をどうするのか。
県民が求めているのは、兄弟愛の解説ではなく、こうした現実への回答である。
兄弟の亀裂が沖縄改革の第一歩?
投稿は最後に、兄弟の亀裂について、
沖縄の政治、社会の風土こそ改革の第一歩では無いのか
と結んでいる。
これはさすがに話が飛躍しすぎている。
兄弟が政治的に対立したことと、沖縄政治の改革は別問題である。
家族間の葛藤を沖縄社会全体の責任にすり替え、最後は「改革」という大きな言葉で締めくくる。これでは政治的な検証を避けるための感情的な煙幕と受け取られても仕方がない。
兄弟愛は尊い。
家族の葛藤も理解できる。
しかし、県政は家族ドラマではない。
沖縄県知事を目指すのであれば、涙を誘う物語ではなく、これまでの政治行動、企業との関係、事業への責任、県政運営の具体策を県民の前に示すべきだ。
「兄貴、許してくれ」と言う前に、まず県民に、説明してくれ。
※本稿は、提示されたグループLINE投稿の文面を前提に、その政治的な訴求方法を論評したものです。投稿者の身元や、記載された個別事情の真偽を断定するものではありません。
JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次





