≪特集・石木ダム/第二弾≫135億円増えても「進めます」か――県議会は説明を聞くだけで終わるな!

63年の石木餅、金子岩三がつき、息子の金子原二郎がこねし、石木餅、座りしままに、食ふは孫の金子容三である。
金子家にとって「必要だから造る」「金子家のために完成させる」
それなら聞こう。いくらまで費用を増やし、いつまで待てば、その約束は実現するのか。

長崎県が2024年に公表した石木ダムの事業見直しでは、総事業費は285億円から420億円へ。実に135億円、約47%の増額である。県は、河川改修とダム建設を組み合わせる現行案が、最も経済的で有効だと説明している。
だが、「最も経済的」という結論だけ聞かされても、県民の財布は納得しない。
何と比較し、どの条件で計算し、どこまで費用が増えても、その結論は変わらないのか。
県は、比較した対策の費用と効果、計算の前提を、県民が追える形で示すべきだ。資料を公表することと、疑問に答えることは同じではない。
前回問うたのは、「誰が何を判断したのか」だった。今回は、さらに踏み込む。
その判断が外れたとき、誰が、何を見直すのか。
水需要の予測と実績に差が生じたらどうする。工事費がさらに膨らんだらどうする。完成の見通しが立たなくなったら、どの段階で計画を再検討するのか。
そこを決めずに「事業継続」だけ決めるのでは、県民に際限のない負担を引き受けさせることになりかねない。
県議会にも注文がある。
県の説明姿勢を批判するなら、批判した先の仕事をしてもらいたい。追加資料の提出期限を切り、答弁を記録に残し、予算審議で確かめる。説明が足りないと言いながら、予算だけは通す。それでは、何のためのチェック機能なのか。
完成を求める側も同じだ。「早く造れ」と言う以上、費用負担と実現可能な工程について、具体的に語る責任がある。
そして、地元という言葉で、住民の意見をひとまとめにしてはいけない。完成を望む声もあれば、生活の場を失うことに反対する声もある。どちらも、その土地の将来に関わる当事者である。
対話を掲げるなら、県は何を説明し直し、何を再検討できるのかを示すべきだ。結論を動かさず、理解だけを求め続けても、隔たりは埋まらない。
石木ダムは、特定の政治家や一族のための事業であってはならない。県民の負担で進める以上、判断の物差しは県民の利益である。
「ここまで進めたから」ではなく、「これから負担する費用に見合うのか」を答えよ。
積み上げるべきは、事業費だけではない。県民が納得できる根拠と、判断する側の責任である。
JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次





