アイコン ≪特集・石木ダム/第三弾≫増額には判を押す、見直しには誰が責任を持つ、県民の財布に「完成まで無制限」はない!


石木ダム 大石

「必要なダムです」
「一日も早い完成を目指します」
その説明で、あと何年、あといくら、県民に負担を求めるつもりなのか。

 

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新聞

大石賢吾長崎県政が2024年9月の県議会で示した見直しは、総事業費285億円から420億円への増額。完成工期も2025年度末から2032年度末へ、7年先送りするというものだった。135億円増やして、完成は7年延びる。 県民にとって、軽く聞き流せる話ではない。
前回、本紙は「判断が外れたとき、誰が何を見直すのか」と問うた。第三弾では、その責任をさらに具体的に問いたい。
420億円を超える見通しになったら、どうするのか。2032年度末の完成が難しくなったら、何を再検討するのか。
その都度、金額と年度を書き換えて「それでも必要」と繰り返すのか。それでは再評価が、計画を検証する場ではなく、継続を追認する手続きになってしまう。
県議会が求めるべきは、次の三つである。
第一に、増額の内訳と、今後さらに増える可能性のある費用。
物価高という一言で済ませず、何がどれだけ上がり、どのリスクを織り込んだのか。県民に見える数字で示すことだ。
第二に、完成までの工程と、その前提条件。
年度だけ掲げても工程の説明にはならない。何を、いつまでに解決しなければ完成できないのか。その条件が崩れた場合の対応まで示してもらいたい。
第三に、計画を再検討する基準。
費用、水需要、治水効果、工期。そのどこに変化が生じれば、代替策との比較をやり直すのか。判断する責任者と、公表の時期を明らかにすべきだ。
「専門家が認めた」「必要性は変わらない」。それだけでは、予算を認める議会自身の責任は果たせない。
説明不足を叱った翌日に、予算には賛成する。その繰り返しでは、県民の財布を守れない。
政治家にも同じことを言いたい。
石木ダムの完成を政治的な実績として訴えるなら、費用と工期を説明する責任も引き受けるべきである。完成だけを手柄にし、増額と遅延は行政任せ。そんな都合のよい役割分担を許してはならない。

金子谷川

前稿では、金子家三代を「石木餅」になぞらえた。そこで問いたいのは、公共事業を政治家の金子家の功績として語ることへの疑問である。
政治家が代を重ねても、そのたびに県民が白紙の請求書を引き受ける義務はない。
そして、工程表の先には住民の暮らしがある。
完成を求める声にも、住み続けたいという声にも、行政は具体的に答える責任がある。「対話」を掲げるなら、住民から示された疑問や提案をどう検討し、何を判断に反映したのかを公開すべきだ。面会の回数だけでは、対話の成果は分からない。
県に求めるのは、威勢のよい決意表明ではない。
いくらかかる。いつできる。条件が崩れたら、誰が見直す。
この三つを、県民に約束できる形で示してほしい。
「完成まで責任を持つ」と言うなら、計画が狂ったときの責任まで語れ。
県民の財布に、「完成するまで無制限」という約束はない。

JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次

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