アイコン 楽勝モードなどもってのほかです/沖縄知事選

 

 

安里繁信氏と佐喜眞淳敦は一本化して不満もありましたが、少し安堵しておりました。少なくとも翁長知事時代のようなことはないだろうと。

きのう、フェイスブックで依田 啓示さんの投稿を読んでビックリ、先日、佐喜真候補は「埋立承認」の撤回もあり得るというオール沖縄に配慮した発言をしたというのです。しかも危険な普天間の一日でも早い返還を望んでいるといいながらです。沖縄の選挙の難しさを痛感し、いらだっています。

依田 啓示さんの投稿と、農と島のありんくりんの両方を紹介させて頂きます。

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依田 啓示
https://www.facebook.com/keijiyoda?hc_ref

農と島のありんくりん
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/

移り変わる自然、移り変わる世情の中で、真実らしきものを探求する


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今回の沖縄知事選における革新陣営の「遺言」劇をめぐるドタバタぶりと、擁立されたのが玉城デニー氏だったことで、早くも楽勝ムードが漂っているようです。
とんでもない勘違いです。なにを楽観しているのでしょう。

沖縄保守系と革新系は、両者共にほぼ26万票あたりを鉄板の基礎票として均衡しています。 やや革新票のほうが多いかもしれません。

したがって県知事選で勝つにはどれだけ中間層を獲得するかが戦いの正念場となります。

前回の知事選の得票数です。

●沖縄県知事選開票結果
当360,820 翁長 雄志 無新
 261,076 仲井真弘多 無現
  69,447 下地 幹郎 無新
   7,821 喜納 昌吉 無新

今回はこれに前回翁長陣営に走った公明沖縄が保守陣営に戻り、下地氏の維新も加わると見られるために、うまくいって僅差、気を抜けばまたもや惨敗する可能性もあります。

沖縄自民はたるみきっていますから、なぜか必ず重要な選挙直前におきる米兵不祥事ひとつでまたもやボロ負けする可能性もあります。

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アエラ8月24日

さて先日述べたように、玉城氏には「御輿は軽くて」という側面もありますが、それだけで見ると見誤ります。

本土では玉城氏の影が決して濃いとはいえないために、過小評価しがちですが、沖縄3区では、新鋭の比嘉奈津美氏を寄せつけない強さを発揮しました。

その理由は、圧倒的知名度です。そして人柄の面白さです。

米兵の父親は逃げ、片親でトタンぶきの家に育てられました。

「玉城氏が生まれたのは沖縄が米軍統治下だった1959年。米軍基地が集中する沖縄本島中部で育った。父親は、沖縄駐留の米軍人だった、ということしか分からない。玉城氏が物心つく前に、父親の写真や手紙は全て、母親が処分していた。父親のことを根ほり葉ほり尋ねたこともあったが、母親は「もう全部忘れた」としか答えてくれなかった」(アエラ8月24日)
https://dot.asahi.com/aera/2018082400035.html?page=1

片親育ちでハーフの彼に対するいじめは、想像に難しくありません。自らのヒージャミー(米国人)のような風貌は大変なハンディだったはずです。

英語を教えるべき父親はいず、米国人にもなれない。基地内の米国人のような優雅な暮らしは別世界。

かといって、ウチナンチュー社会にもすんなりと入れてもらえるわけでもなく、激しくいじめられることも往々にあったと言います。

そんなアイデンティティの分裂を抱いた成長期だったのでしょう。

その文脈で、彼が「イデオロギーよりアイデンティティ」というのは納得できます。

玉城氏は沖縄社会のマージナル(境界域)に育った人物なのです。

私はこのようなタイプの人物は、政治をなりわいにすべきではないと考えています。

音楽周辺の世界で生きるべきでした。

なぜなら、文化は矛盾した自分を矛盾した姿のまま表現することができますが、政治にはそれは許されません。

しかしそれでもなおかつ、自分の言葉で「基地」を語れる希有な沖縄政治家のひとりであることは確かです。

それが彼の強みだからです。

ただし議員という職業は自己表現ではありません。万単位の県民の代表となることですから、最大公約数的な発言を求められます。

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アエラ8月24日

さて先日述べたように、玉城氏には「御輿は軽くて」という側面もありますが、それだけで見ると見誤ります。

本土では玉城氏の影が決して濃いとはいえないために、過小評価しがちですが、沖縄3区では、新鋭の比嘉奈津美氏を寄せつけない強さを発揮しました。

その理由は、圧倒的知名度です。そして人柄の面白さです。

米兵の父親は逃げ、片親でトタンぶきの家に育てられました。

「玉城氏が生まれたのは沖縄が米軍統治下だった1959年。米軍基地が集中する沖縄本島中部で育った。父親は、沖縄駐留の米軍人だった、ということしか分からない。玉城氏が物心つく前に、父親の写真や手紙は全て、母親が処分していた。父親のことを根ほり葉ほり尋ねたこともあったが、母親は「もう全部忘れた」としか答えてくれなかった」(アエラ8月24日)
https://dot.asahi.com/aera/2018082400035.html?page=1

片親育ちでハーフの彼に対するいじめは、想像に難しくありません。自らのヒージャミー(米国人)のような風貌は大変なハンディだったはずです。

英語を教えるべき父親はいず、米国人にもなれない。基地内の米国人のような優雅な暮らしは別世界。

かといって、ウチナンチュー社会にもすんなりと入れてもらえるわけでもなく、激しくいじめられることも往々にあったと言います。

そんなアイデンティティの分裂を抱いた成長期だったのでしょう。

その文脈で、彼が「イデオロギーよりアイデンティティ」というのは納得できます。

玉城氏は沖縄社会のマージナル(境界域)に育った人物なのです。

私はこのようなタイプの人物は、政治をなりわいにすべきではないと考えています。

音楽周辺の世界で生きるべきでした。

なぜなら、文化は矛盾した自分を矛盾した姿のまま表現することができますが、政治にはそれは許されません。

しかしそれでもなおかつ、自分の言葉で「基地」を語れる希有な沖縄政治家のひとりであることは確かです。

それが彼の強みだからです。

ただし議員という職業は自己表現ではありません。万単位の県民の代表となることですから、最大公約数的な発言を求められます。

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[ 2018年8月28日 ]

 

 

 

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