アイコン 西海市江島の遠見岳番所遺跡の復元プロジェクトが開始される。


 

1853年(嘉永6年6月3日)にアメリカ合衆国東インド艦隊司令長官のマシュー・ペリー提督は、浦賀沖(現在の神奈川県浦賀市)に4隻の黒船蒸気船で現れ、久里浜に上陸、当時、海外との貿易を禁止する鎖国政策(1639年~1867年)をとっていた徳川幕府に対し、アメリカ合衆国第12代ミラード・フィルモア大統領からの国書を謹呈し、日本との貿易、開国を要求している。
世に言う『ペリ-来航(黒船来航)である』

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当時、江戸の町で流行った狂歌にも『泰平の眠りを覚ます上気選(蒸気船)たった4杯で夜も眠れず』と、歌われている。

徳川幕府は貿易の窓口として長崎をオランダと清国だけに開港していたが、世の中は大きく動こうとしていた。
1858年(安政5年)徳川幕府は長崎港の海防の観点から外海地方(現在の西海市)の領主だった大村藩12代藩主・大村純熈に命じ、長崎港に入る外国船の来航や、海難、漂着、密貿易などを監視することを目的として、外洋の展望が利く場所に6六ヶ所の砲台と14ヶ所の遠見番所を設置している。

西海市

西海市崎戸町江島の遠見岳(標高121メートル)もその一つである。

外洋の展望が360度見渡せる遠見岳から江島沖で外国船、異変を発見すると江島の遠見岳番所の役人が狼煙を上げ外海松島の遠見岳番所に異変を急報し、外海地方から長崎奉行にも狼煙で素早く異変が伝えられていた。

西海市

西海市江島の遠見岳は幕末日本の動乱と明治維新の日本の歴史を見て来た歴史の証人であり、長崎県の歴史的遺跡であり、江島の地域遺産なのである。

最近、洋上風力発電事業の風況調査用の柱(ポール)を設置するとして、心無い事業者(JRE・担当責任者山本康弘・協力者・柏木世次)によって遠見岳山頂付近の番所跡の石垣の大部分が破壊されていることが判明している。 今も江島の遠見岳頂上には番所跡の石垣が工事による破壊から免れて僅かに残っているのを確認したが、遺跡の復元は急務である。

西海市

西海市

西海市

ENOS・JREグループが江島の地域遺産である遠見番所跡の石垣を破壊した蛮行は許し難い。
NPO法人『さんらいず江島』が、江島への駐在所及び交番の早期設置と、遠見岳の番所遺跡の復元を目指し立ち上がっている。

 

JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次

[ 2023年10月25日 ]
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