『長崎県を壊した男達』その4(ポスト大石は金子容三か?)
《親の七光りどころか14Kで光り輝く金子容三氏》
昨日の記事で、『虎は死して皮を留め人は死して名を残す』と書き、『谷川弥一爺は辞職して『恥』を残す』と書いたが、もう一つ大事なことを書き忘れていた。『谷川弥一爺は、辞職して「恥」と長崎県民にとって迷惑な「大石」を残した。』と付け加えておく。
そして金子岩三氏の孫で、金子原二郎氏の長男が、ポスト大石と噂されている、あの金子容三氏である。と改定している。
その金子容三氏の祖父である金子岩三氏は、昭和33年1月14日、西岡竹次郎知事死去に伴う長崎県知事選に出馬するが、副知事だった佐藤勝也氏に敗れて落選している。
《自衛船の金子と呼ばれた金子岩三氏》
しかし、その3か月後の同年5月に行われた第28回衆議院議員総選挙に旧長崎2区から立候補し、当選するという強運に恵まれていた。
その強運の岩三の三を貰い容三と命名しているくらいだから、金子容三氏も強運なのかもしれない。
たしかに、このタイミングで『大石辞職』とでもなれば、大石知事の産みの親の片割れである金子原二郎氏の長男である金子容三氏がポスト大石の一番手となっても不思議ではない。
親の七光りどころか、14Kで、不思議に光り輝いている。
しかも、金子岩三、金子容三と名前の響きまで、イワゾウ、ヨウゾウ、と長崎県の王者の風格が名前にまで漂い、ピッタシ、ケンケンである。
その昔、中村法道知事の前の知事の頃、山のキジは『ケーン・ケーン』と鳴いていたが、長崎県の知事は『リケーン・リケーン』と鳴いていたのを思い出している、今日この頃である。
《無能な大石賢吾を担ぎ、大石県政を誕生させ、キジを愛する容三パパの金子原二郎氏》
願わくば、ポスト大石は『リケーン・リケーン』と鳴かない知事(キジ)にお願いしたいものである。
JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次