『長崎県を壊した男達』その5(ポスト大石は金子容三か?)

(ポスト大石の呼び声が高い?金子容三氏)
長崎県知事だった西岡竹次郎氏は知事在任中の昭和33年(1958)1月14日、慢性肝炎による心臓衰弱によって没している。享年68歳だった。
当時、長崎県議会議長だった金子岩三議長の計らいと素早い動きがあって、西岡竹次郎知事の葬儀は長崎県初の県民葬として大々的に執り行うことが決まった。
県民葬での喪主は、妻で参議院議員を務めていた西岡ハル氏『現・衆議院議員(国民民主党)西岡秀子氏の祖母)、葬儀実行委員長を務めたのが、長崎県議会議長・金子岩三氏だった。
今のように、メモリードとか平安閣のような大きなホール、葬儀場もなかった当時、多くの参列者が予想されることから、葬儀場を何処にするかで難航したが、最終的に多くの弔問客を収容できるホールとして、長崎県立東高校の体育館が選ばれた。
会場の手配から、県民葬全てを取り仕切ったのも、葬儀実行委員長を務めた金子岩三議長である。
そして昭和33年1月19日、西岡竹次郎知事の県民葬は県立東高校体育館で盛大に行われ、喪主、西岡ハル氏の隣には、葬儀実行委員長として金子岩三議長が座ったのである。

(李承晩ラインの海賊と呼ばれた金子岩三氏)
これで、『ポスト西岡』次期長崎県知事は金子岩三議長だと、県民葬に参列した多くの弔問客は勿論、長崎県政財界の誰もが思ったはずである。
当の金子岩三議長も、次の知事は『俺で決まりだ!』と確信した瞬間でもあった。
金子岩三氏の故郷である生月町(現在の平戸市)では、西岡竹次郎氏の県民葬での金子岩三葬儀実行委員長の実力者ぶりを見て、島民の誰もが金子岩三氏の次期長崎県知事誕生を信じて疑わなかった。
『ポスト大石』が『ポスト金子容三』と噂されているように、『ポスト西岡』は『ポスト金子岩三』だったのである。
金子岩三、51歳の時である。

(あの、裏金議員・谷川弥一と組み、閨閥政治で長崎県を牛耳った金子原二郎氏)
JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次






