アイコン 62年の石木餅、金子岩三がつき、息子の金子原二郎がこねし、石木餅、座りしままに、食ふは孫の金子容三である。第3弾!


金子容三

石木ダム建設は金子家の家業なのである。
現在、長崎県が強制的に推し進めようとしている石木ダム建設工事は昭和35年(1962)の約62年前、旧長崎2区選出の国会議員・金子岩三氏が国から調査予算を取り付け、選挙区に持ってきた大型の公共工事である。
あれから62年、それでも石木ダムが建設予定の川原地区には子供からお年寄りも含めて13世帯50人の人々が先祖代々の土地と暮らしを守って生きている。

 

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60年経ってもできないものは、必要ないダムということである。
佐世保市の利水の事情も、川棚町の治水事情も大きく変化している。
62年間、変わらないのは石木ダムという公共工事を神格化している金子王朝県政と役人体質である。

大石ツイッター

大きく変わったのは国民、県民、町民の無駄なダムに対する意識と、川原地区に暮らす人々の基本的人権を守りたいという労りの心と意識である。それに公共工事のあり方も、当時に比べ大きく様変わりしている。

ただ、今でも公共工事が欲しい土建業者がいることは事実であるし、公共工事が地域の雇用や産業に少なからず貢献していることも事実である。

それは、石木(こうばる)地区に暮らす12世帯50人の住民を犠牲にしてである。

当時、貧しい地域にとって数百億の公共工事を持ってくる国会議員は神様だったし、また、金子岩三氏がそのように振舞っていたことも事実である。

その御子息である金子原二郎氏も、三代目の金子容三も然りである。

しかし、地元の反対が強いことに驚き、石木ダム建設に待ったをかけたのが、当時(昭和35年)の長崎県知事佐藤勝也知事(南島原市)だった。
当時のことに詳しかった元県職幹部から聞いた話と、「山下弘文氏の石木ダム阻止闘争の経過」に加筆して連載し、長崎県民の意識を問いたいと思う。
http://ishikigawa.jp/about/alliance/tatakai/

JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次

[ 2023年9月11日 ]
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