アイコン 長崎4区の有権者の皆さまに、一筆啓上申し上げます。


故北村誠吾氏の逝去に伴って行われている長崎4区補選だが、北村誠吾氏は金子原二郎氏の後継者でもなかったし、金子家には何の恩義もないどころか、2021年10月の衆院選では金子・谷川の閨閥コンビに萩原活とかいう佐世保市議を刺客に差し向けられ、危うく落選の憂き目に遭うところだった。

辛うじて391票差で逃げ切ったが、当選後、選挙時の心労と過労が重なったことから喉頭ガンという病に侵されて伏せることが多くなり、後を託す後継者として長崎県議会議員・山下博史氏を指名していた。

ところが、北村誠吾氏が岸田文雄総裁に出した上申書も虚しく排除され、長崎4区の後継者には金子家3代目世襲の金子容三氏に決定している。

北村誠吾氏は令和5年5月20日、山下県議の後継指名を信じたまま静かに永眠している。

今の金子容三氏による長崎4区補選の戦いを見て故北村誠吾氏の心中を察すれば『無念』の一言であろう。

故北村誠吾氏は生前から親しい人には金子家3代による世襲政治を危惧するような思いを吐露していたことも事実である。

それでも金子家世襲政治は今回の補選を『故北村誠吾氏の弔い合戦』であるかの如く振舞っている。まさに死者に鞭打つ破廉恥な行為である。

1、 故北村誠吾氏は金子原二郎氏の後継者だったという嘘、

2、 金子容三は故北村誠吾氏の後継者だという嘘、
3、 金子容三の選挙は『故北村誠吾氏の弔い合戦』の嘘について一筆啓上申し上げます。
故北村誠吾氏は平成12年6月26日に投開票が行われた衆議院選挙に無所属で出馬し、自民党(宏池会・加藤紘一派)の若手のイケメン代議士といわれていた宮島大典氏に約5000票の差を付けて当選している。
故北村誠吾氏を支援した北村誠吾後援会に代わって、JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次だから書ける真実を述べさせて頂きます。

北村誠吾

 

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永田町の住人は勿論、長崎県民の多くが故北村誠吾氏は金子原二郎氏と同じ宏池会でもあるし、宏池会でも古参狸議員だった金子原二郎(元衆議院議員・元長崎県知事で前参議院議員)の後継者として金子氏の衆議院時代の長崎4区の地盤を引き継いで衆議院議員になったと間違い、勘違いしている政財界関係者が多いようだが、事実は全く違う。
上記のような誤解から故北村誠吾氏は恩人である金子原二郎氏の金子家3代目世襲メガネを応援し、長崎4区の選挙区は金子家に返すべきだと主張している世間知らずがいるようだ。
だから今回の金子容三の長崎4区の補欠選挙は故北村誠吾氏の『弔い合戦』なのだと、勘違いしている4区の有権者も多いのである。

ちょっと待て!そもそも金子原二郎氏が衆議院5期目で辞職し、長崎県知事選挙に出馬表明したのは、平成9年8月頃である。
そして長崎県知事選挙で西岡武夫氏と戦ったのは平成10年2月の知事選である。
その時、衆議院議員・金子原二郎の後継候補者に指名されたのは当時県議会議員・故北村誠吾氏ではなく、平成8年4月の衆議院選挙に長崎1区で『長崎市に骨を埋める』と決意を述べて落下傘候補として長崎1区から出馬し、当時、自由党幹事長だった西岡武夫氏との戦いに敗れ、浪人中だった宮島大典氏(現在の佐世保市長)だった。
当然、平成10年2月の知事選と同時に行われる長崎4区の衆議院補欠選挙には前年長崎1区に鞍替え出馬したばかりの宮島大典氏が出馬し、当選している。

当時、地元長崎4区では金子原二郎氏の後継候補者は県議の朝長則夫氏(前佐世保市長)か、同じく県議の故北村誠吾氏(前地方創生大臣)だと噂されていたところに、変な金と力が動いて、金子原二郎氏の後継者に宮島大典氏が決定したことで、将来に大きな禍根を残した金子原二郎氏による宮島大典氏への後継者指名だったのだ。
平成10年秋、『させぼ農協』事件で宮島大典氏の父親と実兄が背任容疑で逮捕されたことを受け、平成12年6月の衆議院議員選挙に宮島大典氏ではダメだと、佐世保市内は勿論、郡部でも故北村誠吾氏を推す声が高まり、次期衆院選に北村氏は自民党長崎県連(県連会長は松谷総一郎氏、幹事長は谷川弥一)に対し長崎4区からの出馬を表明し、同時に自民党長崎県連に対し、公認を申請したが、県連では決着できないまま、党本部に決定を委ねられた結果、宮島氏が公認となった。当時、県連会長に〇00万、幹事長に000万、議長には000万の金が渡ったとも噂されていた。

その時、自民党長崎県連の幹事長だったのが、何を隠そう谷川弥一爺である。
それでも故北村誠吾氏に出馬してくれとの県北での声は高まる一方であり、北村氏は多くの有権者の声に推されて県議を辞職、背水の陣で無所属候補として出馬し、自民党現職で自民党幹事長だった加藤紘一派(宏池会)の若手のイケメン代議士と言われていた宮島大典氏と戦い、前途した通り、約5000票の差を付けて圧勝しているのである。
当時、金子原二郎氏は自民党公認の県知事2年目であり、当然、自民党公認候補の宮島大典氏を応援している。
平成12年6月の衆議院選挙で無所属として出馬した北村誠吾氏の総決起集会(佐世保市コミュニティーセンター)に応援弁士として壇上に上がってくれたのは、公明党県議団の織田長(おだちょう)県議、自民党県議だった田中広太郎氏の2人だった。
その後、田中広太郎県議は反党行為があったとして自民党長崎県連(谷川弥一幹事長)から除名処分を下され、自民党を離党している。
自民党の金子原二郎氏が故北村誠吾氏の応援をした事実はない。
上記のような経緯からして故北村誠吾氏は金子原二郎氏の後継者でないことは自明である。
北村氏は平成12年6月に無所属で初当選すると、衆議院議員9人で院内会派『21世紀クラブ』(代表・山本幸三)を結成している。

同会派には後に千葉県知事になる森田健作氏もいた。
その後、平成12年秋に起こった加藤の乱によって自民党からの離党者が続発し、平成13年1月頃、当時の自民党幹事長だった古賀誠氏から自民党復党を請われ自民党に復党、宏池会入りしている。
その後、故北村誠吾氏は8期23年間、長崎4区の国会議員として地元は勿論、
国政でも活躍したことは長崎4区の有権者が見てきた通りである。
故北村誠吾氏は金子原二郎氏には嫌がらせこそされたが、恩義など微塵もない。
今回の4区補選はたたき上げ故北村誠吾氏の弔い合戦であることは間違いない。
故北村誠吾氏を応援して来た支持者なら今回だけは、左手で良いから『たたき上げの末次精一』と書いてあげることこそ故北村誠吾氏への真の弔い合戦である。

JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次

[ 2023年10月20日 ]
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