アイコン 『 NPO法人・さんらいず江島』が新たに再発足した。(西海市江島)


NPO

一度は元暴力団員でJREの交渉人・柏木世次氏の暴力による妨害によって解散させられかけていた『NPO法人・さんらいず江島』が、江島をなんとか再生したい、江島を暴力のない笑顔のある優しい島にしたいとの強い思いから島民有志が立ち上がり、新生『NPO法人・さんらいず江島』として新たに再発足した。

先ず、江島に駐在所及び交番所設置の早期実現の為の活動、また、破壊された江島の歴史的遺産であり、地域遺産である、遠見岳の烽火台と遠見番所跡の復元を目指します。多くの心ある有志による賛助、支援もお待ちしております。

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1858年(安政5年)徳川幕府は長崎港の海防の観点から外海地方(現在の西海市)の領主だった大村藩12代藩主・大村純熈に命じ、長崎港に入る外国船の来航や、海難、漂着、密貿易などを監視することを目的として、外洋の展望が利く場所に6六ヶ所の砲台と14ヶ所の遠見番所を設置しています。
江島の遠見岳烽火台(標高121メートル)もその一つであります。

新上五島町の番岳
写真は新上五島町の番岳

外洋の展望が360度見渡せる遠見岳は外敵からの侵入や遭難事故の異変を一早く発見し、烽火台を設置する場所として最適の山だったのです。
江島沖で異変が発見されると遠見岳に設置されている烽火台から狼煙をあげ外海松島の遠見岳番所に異変を急報し、外海地方から長崎奉行所に素早く異変が伝えられていました。

筆者

現在、遠見岳には江戸時代に大村藩が造った遠見岳烽火台の破壊された一部の石垣跡が残されています。

 

 

江島の遠見岳は幕末日本の動乱と明治維新の日本の歴史を見て来た長崎県の歴史的遺跡であり、江島の歴史的地域遺産なのです。
そんな歴史的遺産であり江島の地域遺産でもある遠見岳烽火台番所の石垣が再生エネルギー事業者の手によって破壊されている。

 

 

JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次

[ 2023年11月 6日 ]
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