9月12日は、祝賀と不起訴が同居した長崎の一日だった。

9月12日。長崎の空気は本来ならば、ただひたすらに晴れやかであるはずだった。
なぜなら、この日は 天皇・皇后両陛下、そして愛子さまが長崎に来県され、県民が心からの歓迎を用意していたからだ。めでたい、実にめでたい一日になるはずだった。
ところが、そこに突如として不愉快な“ニュース”が割り込んできた。
そう、あの大石賢吾知事が告発されていた「後援会への2000万円の架空貸付」疑惑について、長崎地検が嫌疑不十分で不起訴処分と発表したのである。
「証拠不十分」のひと言で幕引き?
長崎地検の説明は実に無機質でシンプルなものだった。
「犯罪の成立を認定する証拠が不十分」。1年以上も捜査して、たったこれだけである。
あとは「捜査の具体的内容に関わるから言えない」と、ひらりと身をかわす情けなさである。
結果、大石知事にとっては“疑いが晴れる”というより“とりあえず助かった”という形になった。
そしてその発表は、ちょうど県民が両陛下と愛子さまを迎えて喜んでいる祝賀ムードにかき消される。
まるで、狙ったかのような巧妙なタイミングではないか。

二つの音色
この日の長崎には二つの音色が響いた。
• 一つは、両陛下ご来県を祝う拍手と歓声。
• もう一つは、不起訴処分の報に対する小さなざわめき。
大きな音に小さな音が吸い込まれる。県民の記憶にどう刻まれるのか。
三権分立、政治と司法が無関係であるべきなのは言うまでもない。
だが「記者発表のタイミング」というものには、不思議と人間的な“したたかさ”がにじむ。
めでたい日には重たいニュースも軽く流れる。
そうやって時間と空気を味方につけるのも、また地方政治のリアリズムなのか、三権分立という日本の法治システムが崩壊するリアリズムなのか、「大石賢吾知事らの政治資金規正法違反疑惑? 証拠不十分で不起訴処分」
まるで祝い酒の席で味噌汁をぶちまけられたような唐突さだった。

祝賀ムードという“箒”
「証拠不十分」という魔法の言葉。
それに「両陛下ご来県」という圧倒的な話題性が加われば、県民の関心はたやすく掃き出せる。
不起訴という重たいニュースも、祝賀の箒でサッと片隅へ。
長崎地検よ、なかなかしたたかな掃除術ではないか。
長崎名物・すり身かまぼこ的不起訴
「捜査の詳細は語れない」——その一言で、事件はすり身にされる。
骨も皮も落とされ、ただ「証拠不十分」というペラペラな練り物が残るだけ。
これを“司法のご馳走”として県民に差し出すとは、実に大胆である。
だが、噛みごたえはゼロ。腹の足しにもならぬ。

政治と司法の見事な二人羽織
この日、長崎には二つの主役がいた。
• 笑顔で県民に手を振る両陛下と愛子さま。
• そして裏で、見事なタイミングで不起訴を発表する長崎地検と笑顔の大石賢吾。
表舞台では祝福の拍手、裏舞台では司法の幕引き。
長崎地検はこの二つを同じ日に演じきるという離れ業をやってのけたのである。
JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次





