アイコン コメ価格下落 農政のゆがみを直視せよ


コメ価格の下落を、単なる朗報として受け止めるわけにはいかない。

農林水産省が公表した全国スーパーの販売価格は、6月15日から21日までの1週間で5キロあたり3590円となった。今年1月に4400円台まで上がった価格は、2週連続で3500円台に下がった。新米は3000円を割り込むとの見方も出ている。

だが問われるべきは、なぜコメがここまで高騰し、なぜ在庫が増えても価格がすぐには下がらないのかである。値下がりは、制度の健全さを示すものではない。むしろ、硬直したコメ行政と不透明な流通構造のほころびが、ようやく表面化したと見るべきだ。

昨年のコメ騒動を受け、民間業者と農協の間では集荷競争が起きた。高値で買い集められたコメは、思ったほど不足していなかった。結果として流通在庫は膨らみ、需給は緩んだ。ところが、業者は高値で仕入れた在庫を抱えているため、安値で売れば損失が出る。だから価格は下がる局面に入っても、じりじりとしか下がらない。

これは市場が正常に機能している姿とは言いがたい。

野菜や果物であれば、卸売市場を通じて需給が価格に反映されやすい。供給が増えれば価格は下がり、少なければ上がる。ところがコメは、相対取引を中心とする閉じた流通が続いてきた。価格がどの段階でどう決まり、誰がどれだけの在庫を持ち、どのような販売判断をしているのか、消費者には見えにくい。

 

スポンサーリンク
 
 

国民の主食であるにもかかわらず、価格形成が不透明なまま放置されてきた責任は重い。

この点で、高市政権下の農林水産行政にも厳しい視線を向けざるを得ない。鈴木農水相は、コメ価格の乱高下が家計と農家経営の双方を揺さぶっている現実に対し、制度の問題をどこまで直視しているのか。価格が下がり始めたことをもって、事態が沈静化したかのように扱うなら、それはあまりに楽観的である。

求められるのは、目先の価格対応ではない。生産調整、集荷、相対取引、在庫情報の開示、農協と卸の価格形成。こうした構造に踏み込まず、従来の説明を繰り返すだけでは、農政の責任を果たしたとは言えない。

さらに見過ごせないのは、生産調整の問題である。政府は長年、コメを作りすぎれば価格が下がるとして、主食用米の生産を抑える政策を続けてきた。制度は形を変えたとはいえ、転作支援などを通じて、主食用米の供給を増やしすぎない誘導は今も残る。

農家を守るという名目は理解できる。しかし、その結果として消費者が高値を負担し、流通段階では在庫の出し入れによって価格が見えにくくなるのであれば、制度のあり方は根本から見直されなければならない。

もちろん、農家だけに責任を押しつけるべきではない。肥料、燃料、人件費は上がり、農業経営は厳しさを増している。米価が急落すれば、生産現場が疲弊し、将来の供給不安を招く。必要なのは、農家を犠牲にした安売りではない。消費者にも農家にも納得できる、透明で持続可能な価格形成である。

そのためには、政府と農協、卸業者がこれまでの仕組みに安住していてはならない。生産調整に依存した価格維持、相対取引に偏った閉鎖的な流通、在庫情報の見えにくさ。こうした構造を温存したままでは、今回のような高騰と反動安は繰り返される。

一方で、大規模農家の中には、民間企業との複数年契約や消費者への直接販売によって、価格変動のリスクを抑えようとする動きもある。農家自身が販路を開き、価格を自ら設計する取り組みは、旧来の流通に対する一つの回答である。

政府が本当に農業を守るというなら、守るべきは既得権益ではなく、持続的に生産できる現場であり、安心して買える消費者である。農協が地域農業を支える組織であるというなら、価格形成の透明化に背を向けるべきではない。

コメ価格の下落は、問題の終わりではない。むしろ、これまで見えにくかった制度疲労の始まりである。政府は「価格が下がった」で済ませてはならない。農協も卸も、説明責任から逃れてはならない。

主食の価格が、誰にとっても納得しにくい形で乱高下する社会は健全ではない。コメ行政と流通の改革を先送りすれば、次に苦しむのは再び消費者であり、そして農家自身である。

 

[ 2026年7月 6日 ]
スポンサーリンク
  

 

 


HTML Comment Box is loading comments...



※記事の削除等は問合せにて。

スポンサーリンク
 

 

関連記事

 

 



PICK UP


破産・小口倒産一覧