アイコン 韓国への貸し出し断る 国立博物館「阿彌陀三尊図」 欧米も貸し出し拒否

 

 

韓国では12月開催される高麗建国1100周年特別展「大高麗展」に、日本にある光来時代ゆかりの仏画や仏像を所蔵する博物館や寺院などへ貸し出し要請。しかし、安全に返す保証をせず、どこからも断られている。日本どころか、欧米も貸し出しを拒否している。
南朝鮮による国際条約であるユネスコ条約無視の対馬仏像拉致事件が、日本だけではなく、海外の博物館・美術館などでも大きく影響している。

2010年10月開催された韓国国立中央博物館で「高麗仏画大展」では、韓国外からも日本やフランス・イギリス・アメリカなどから名品の高麗仏画61点を集め過去最大規模となったが、今回は、貸し出しの仏像や仏画が韓国民のナショナリズム感情が異常に昂ぶり、拉致され、返却されないおそれがあるため、当然ながら、収蔵する海外の美術館で貸し出すところはない。北朝鮮も南朝鮮も一緒の民族、首領の指導の下、やることなすこと皆一緒。

韓国の東亜日報紙は次の通り、報道している。
「韓国にあれば国宝や宝物に指定されていたはずの文化財です。(韓国外にあるので惜しいのですが)積極的に韓国内展示を誘致して、研究と観覧をすべきなのに…」
鄭宇澤前東国博物館長は、日本の東京国立博物館が所蔵している「阿彌陀三尊図」についてこのように説明しながら残念がったという。

阿弥陀、観音、勢至の三菩薩が極楽世界で往生者を迎える場面が表現されたこの図は、高麗仏画の典型的な二重彩色法が使われ、金で蓮花唐草文が配置された最高の傑作として挙げられる。

元々この仏画は12月、ソウル龍山区にある国立中央博物館で開かれる予定の高麗建国1100周年特別展「大高麗展」で会えると期待されていた。
しかし、東京博物館がレンタルを拒否し、祖国への外出は失敗に終わった。

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<返却責任持てないと韓国政府>
韓国側が、「レンタル後、安全に返してもらえる根拠を示してほしい」という日本側の要求を満たせなかったことによるもの。

現存する高麗螺鈿漆器が20点あまりに過ぎない中、東京博物館が所蔵した「菊螺鈿經函」「花唐草螺鈿盒子」と地蔵菩薩図をそのまま仏像に移した高麗時代の唯一の作品である「地蔵菩薩半跏像」(九州国立博物館)も同じ理由で拒否した。

このような雰囲気は、2012年に対馬で発生した高麗仏像盗難事件が決定的な影響を及ぼしている。
当時、韓国人窃盗犯が日本の寺院で盗んだ仏像について、昨年、大田地裁が返還要求を拒否し、忠清南道瑞山市にある浮石寺が仏像を持って行くよう判決を下した。
その後、韓国文化財を所蔵している海外の博物館や美術館は、遺物が韓国に行けば差し押さえられかねないという不安のため、展示貸出を避けているのが現状。

これを受け、今年3月、与党「共に民主党」の盧雄來議員が、「差し押さえ免除法」を代表発議した。「展示などの公益的目的で外国機関の資料をレンタルする場合、一時的な差し押さえや押収などを禁止できる」という条項新設が柱となっている。しかし、法務部が「司法部の固有権限を侵害する恐れがある」として、法案審査の保留を要請し、国会で議論すらできずにいる。

米国、フランス、英国、ドイツ、日本など多くの国々では現在、差し押さえ免除法を実施している。
盧議員は、「国民の文化享受権を促進するためにも、差し押さえ免除法の導入が必要だ」とし、「来月の通常国会で法案が可決されるよう、国会と政府を積極的に説得したい」と語っているという。

一方、韓国国立中央博物館は、国内の博物館や寺院、個人所蔵文化財357点など、計450余点に及ぶ文化財を特別展で展示予定。
以上、
日本の仏教は朝鮮半島から538年ころ伝来し、高麗仏像や仏画、経典などが日本へ流入していた。

日本が天智天皇時代の668年に唐・新羅に滅ぼされ、日本に逃れてきた高句麗の貴族らの帰化人を朝廷は埼玉県上総郷に住まわせ、今でも高麗神社として残っている。(当然宝物も日本に持込み、調停に寄進したものと見られ。)

仏教を国教として奨励した高麗時代だったが、次の李氏朝鮮時代(1392年~)は崇儒廃仏教時代に入り、特に李氏朝鮮3代目太宗以降、仏教を大弾圧し、当時、朝鮮半島に1万ヶ所あったとされる寺院が36寺院を残すだけになるまで、焼き討ち・打ち壊し・略奪の限りを尽くし破壊した。
その過程で、仏教国「日本」へ大量に高麗仏像や仏画、経典が日本へ流入した。

李氏朝鮮時代、朝鮮が悩んでいた倭寇を日本が取り締まる代わりに、朝鮮南部に貿易用の日本人居留地が3ヶ所設置され三浦倭館と呼ばれ、日本人たちが仏像や仏画・経典なども購入し日本へ持ち運んだ。豊臣秀吉の慶長の役後も対馬藩が、公式に釜山に倭館を設置して日朝交易が続いた。

明治時代、日本の朝鮮併合により、日本人収集家たちが韓国で骨董を買い漁り、日本に持ち帰った。・・コレクションとしてまとまって日本の個人や美術館などに収蔵されている。

その後も安宅コレクションのように、戦後、財閥の安宅産業が収集した高麗・朝鮮時代の朝鮮陶磁、中国陶磁を中心に4000点なども、国宝や重文も含め、名品が収集され、現在は大阪市立東洋陶磁美術館に収納されている。

<韓国人の仏像仏画の窃盗事件は今にはしまった話ではない>
韓国人窃盗団が日本から高麗仏画を次々と盗む事件が起こしている。
1998年に大阪府太子町の叡福寺の「楊柳観音像」、
2001年に愛知県豊田市の隣松寺の「絹本著色観経曼荼羅」、
2002年に兵庫県加古市の鶴林寺の「絹本著色阿弥陀仏三尊像」
が盗まれた。
2004年10月にソウルで韓国人窃盗団が逮捕され、この窃盗団の犯行であることが分かった。
韓国では、日本にある高麗仏画は全部、文禄・慶長の役や日本統治時代に略奪したと思い込んでおり、窃盗団は「神が『日本が略奪した我が国の文化財を取り戻せ』と言った」と主張したが、盗品をすぐ売却して金に替えており、金銭目的の犯行だと判明している。
「絹本著色阿弥陀仏三尊像」は韓国に持ち込まれた後、6回の転売を経て慶尚北道の寺に渡ったことが分かったが、その後また売り払われ行方不明になっている。
「絹本著色観経曼荼羅」も韓国に持ち込まれたことが分かっており、「楊柳観音像」も韓国に持ち込まれたとされる。
2005年8月にも韓国人4人組が、豊川市の大恩寺で国の重要文化財である「絹本著色王宮曼荼羅図」を盗もうとして、住職の長男を包丁で刺して重傷を負わせる事件が発生した。犯人たちは2014年4月までに全員逮捕された。

こうしたお寺の仏像や仏画の窃盗事件は後を絶たず、犯人が特定されず、韓国人なのか日本の窃盗グループなのか不明なため、明らかになっていないだけである。

そして、2012年10月、韓国人の窃盗グループ8人が、対馬の海神神社の国指定の重要文化財「銅造如来立像」(統一新羅時代)、観音寺の長崎県指定有形文化財の「銅造観世音菩薩坐像」(高麗時代)、多久頭魂神社の長崎県指定有形文化財の「大蔵経」を盗み出し、韓国に持ち帰り検挙された。「大蔵経」は不明のままとなっており、「銅造如来立像」は2015年7月に返還された。
しかし、「銅造観世音菩薩坐像」は李氏朝鮮初期に廃寺になり、その数百年後再建された忠清南道瑞山の浮国寺が所有権を主張し、韓国が拉致したままとなっている。
常軌を逸した韓国の裁判所まで、倭寇や朝鮮征伐の豊臣軍が略奪したものとして、韓国の浮国寺の所有物として認定している。

2014年11月、対馬市の梅林寺から誕生仏と大般若経を盗み大韓民国に持ち出そうとした韓国人の男5人が、帰途の船に乗船しようとしたところで対馬南警察署に逮捕された。

こうした事件の背景には、韓国が経済成長により富裕層が多くなり、仏像や仏画などが高値で取引されるようになったことによるもの。窃盗グループが日本を窃盗のターゲットにし、特に誕生仏は縁起が良い仏像として、闇市場を含め高値で取引されている。

反日無罪、日本にある中国や古朝鮮時代の仏像・仏画・経典はすべて韓国の物だと主張する身勝手、わがままな韓国民。
というより、それを炊きつけるハンギョレ・中央日報、朝鮮日報などのマスメディアや名を売り込むために反日有理の左派系議員や学者などが韓国民を洗脳していることによるもの。反日の急先鋒は裁判所でもある。
対馬仏像の拉致を解き対馬へ返せ!

対馬 仏像

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[ 2018年10月17日 ]

 

 

 

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