山路敬介氏寄稿 植村隆VS櫻井よしこ 名誉棄損訴訟と司法消極主義その2
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山路敬介氏寄稿 植村隆VS櫻井よしこ 名誉棄損訴訟と司法消極主義その2
山路氏寄稿の2回目です。
今回の札幌地裁判決は、山路氏が述べるように日本の言論の自由を守った画期的意義をもつものですが、なぜかネット界で取り上げられることが少ないようです。
むしろネットは、あのお調子者の防弾少年団叩きに忙しいようです。
彼等が批判されるのはいたしかたがないとしても、このベタ凪はなんなのでしょう。
おそらくそれは、この植村訴訟の原因が、ネット界の反日への行き過ぎた反発が引き起こしたものだからです。
退職した記者を再就職先まで追いかけて叩き、家族にまで迷惑行為を働くなどということまでしてしまっては、まるでこれでは「白色テロ」です。
目的は過った行為を正当化しません。
結果、当該の大学当局名で抗議までだされる始末で、社会に対して「慰安婦批判をする者はこういうことをする奴らだ」という印象を強烈に与えてしまいました。
植村氏はこの不当性を訴え、それを支援団体が大規模に拡散したために、ニューヨークタイムズなどの外国メディアには「迫害されるジャーナリスト」という報道のされ方をしました。
今回の徴用工判決についても同じ轍を踏んではなりません。
今、韓国政府の正式な出方待ちというデリケートな時期です。軽はずみな行動をして、欧米リベラル・メディアに好餌を与えないでください。
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■植村隆VS櫻井よしこ 名誉棄損訴訟と司法消極主義 その2
山路敬介
承前
■言論の自由は守られた
私はこの裁判の先行きに憂慮し注目して来ましたが、如何せん櫻井氏側からの情報発信が少なく、植村応援団のサイトや左派紙に情報を頼る以外にありませんでした。
当初、争いは櫻井氏側から管轄裁判所を東京に移す事の申し立てから始まっており、その経緯が地裁では認められ、高裁で却下されるという奇妙な具合でした。
同様の裁判で西岡力氏が同じく植村氏より「東京地裁」で提訴され、櫻井氏は「札幌」ですから、明らかに「合理性」に欠けています。
また、近年では名誉棄損は広範に認められる傾向にあり、その賠償額も一桁上がっている事も心配のタネでした。
まだまだ一審の判決が出たのみなので予断を許しませんが、しかし判決内容はかなり立派なもので、高裁がこれを覆すにはよほど骨が折れる仕事に違いありません。
何より一審を勝訴したことで、万一高裁で敗訴しても最高裁まで争う権利を得た事が大きな収穫と思います
出典不明
この裁判を通じて誰しも思うことでしょうが、植村氏は自身の誤った記事についてはほとんど反省していないのです。
それでありながら櫻井氏のジャーナリストとしての資質を問うたり、直接的因果関係を証明出来もしないのに自身が大学を追われた事の責任や、家族が非難にさらされた責任を櫻井氏側に擦り付けようとする場面には、「身勝手がすぎる」と言わざるを得ません。
また、この裁判の中で高知での自身の生い立ちを話す中で、その小さな地域ですら朝鮮人が差別を受け、それが記者を志し「社会正義」に目覚めたきっかけ、という趣旨の事を語っています。
それはそれで立派な部分も全くないとは言いませんが、それが一般読者に向けて自身の書く記事に「角度」となって反映されて来た事は否めないでしょう。
そうした事は本件訴訟でこそ争点ではなく問題ともなり得ませんでしたが、植村氏の記事を書く上でのスタンスを如実にあらわすものとして興味深いものでした。
関係ない話かもしれませんが、一昨日の「よるバズ」において猿田佐世氏が今般の日韓関係について、「姿勢というか、韓国の人たちに申し訳ないという前提で物事を話して行けば、たぶん関係ってここまで悪くはならなかった」と話していますが、これは植村氏のメンタリティと通底するものがあります。
松川るい議員が即座に応じたように「日本はずっとそうしてきた」のであり、むしろその事によって韓国・朝鮮人との正常な関係を保つ事が困難となった事を、今さらながら日本人は強烈に思い知るべきです。
私はそういう日本人の緩いメンタリティが北朝鮮による日本人拉致を長期間に渡って許してきた一因だ、とさえ思っています。
話がそれましたが、私は今回の札幌地裁による判断でかろうじて日本人の「言論の自由」が保たれたと考えていますので、その点では「喜び」もひとしおです。
新潮45があれしきの事で廃刊となった事、ネット空間においてもYouTubeにおけるBAN騒動や言論狩りのような現象がある中で、本件が名誉棄損と判事された場合、その影響は決して小さくなくなかったでしょう。
現在進行している「旧朝鮮半島出身労働者問題」における韓国に対する批判的言論も、セーブされざるを得なかったのではないか、と心配しておりました。
また、かつて我が国の閣僚が朝鮮半島の統治について、「良い事もした」と事実を発言しただけでクビがとんだ時代とは隔世の感があります。
(次回完結)