統一教会に乗っ取られていた宮内庁
ワシントンポスト紙は統一教会に関する記事を次の通り掲載した。
旧統一教会と関連団体は、世界の政治指導者や有名人、他の宗教の著名聖職者を講演に招くために高額を支払ってきた。これは、有名で尊敬される人物と教会を関連付けることによって信用を勝ち取るための長年の戦略である。(中略)例えば1990年代半ばには、元米大統領のジョージ・H・W・ブッシュやジェラルド・フォード、米コメディアンのビル・コスビー、ソ連のミハイル・ゴルバチョフ元書記長が、日本やワシントンで開かれた文鮮明主催の会議で講演を行っている。
櫻井氏らも、統一教会のこうした戦略に巻き込まれただけかもしれない。しかし、統一教会関連のイベントに日本会議系の面々が参加するのは、どうにも釈然としない。
統一教会は保守思想で日本会議と一致するものの、ネトウヨ諸氏の言う反日的な一面を持っている。
たとえば教団組織や関連する団体、企業群が世界各地で活動するための資金はもっぱら日本で集められる。
実際、教会の収入の70%は日本からだという。それも、信者から搾り取るような献金や、恐怖心を利用した霊感商法の売上が中心だ。
鈴木エイト氏によると、日本から韓国の教祖一族への上納金額が毎年数百億円にのぼることが、流出した教団内部資料によって判明している。
なぜ日本だけが金集めのターゲットとなるのか。そこには、とうてい理解できない理屈がある。
すなわち、韓国は世界を支配する「アダム」の国であり、日本は韓国に従属する「イブ」の国である。だから、「全てを惜しみなく与えなくてはならない」というのだ。
霊感商法対策にあたってきた弁護士の一人、紀藤正樹氏は「日本は戦前に韓国を併合した。その罪を清算するために日本人は韓国に貢献しなければいけないという教義がある」と指摘する。
統一教会が日本国民から金を収奪し韓国に送って力を世界に及ぼすことができた背景には、集票活動をエサに日本の政治家を籠絡し、規制を逃れてきた事実がある。そのために霊感商法の被害にあったり、財産を根こそぎ献金名目で奪い取られた日本人がたくさんいる。
もちろん、日本の政治家なら誰しも、こんな構図を望みはしないはずだ。
統一教会と、その名を隠した諸団体の実態を直視すべきである。麻薬のような選挙援助に頼らず、地道に政治基盤をつくっていくべきである。
以上、ワシントンポスト紙
文鮮明、
最初の妻は崔先吉、
文鮮明が信者とやっているところを目撃し、激怒して離婚したとされる。
2番目の妻は既婚者の金鐘和と重婚、社会秩序ビン乱罪で1948年に逮捕され5年間服役と報じられている。
1955年5月、名門の梨花女子大学で布教活動を浸透させ、文鮮明の食口(信者)となった教授や学生たちが大学から追放処分された(血清め疑惑/不貞疑惑)。
1956年、金明煕が血清めの儀式で妊娠、妾となるも日本で子を産まされ、文鮮明は仕送りせず極貧生活、その後信者たちの要請に応え、息子だけ引き取る(息子は中学2年の時事故死・他殺説もある)。
1960年、韓鶴子と結婚、鶴子(現在旧統一教会の総裁)は14人産む。
1966年1月、梨花女子大学時代から食口だった崔淳華と関係し息子出産、文鮮明はバレないように、腹心の朴普煕の子供「朴サミー」として育てさせる(2014年に朴サミー氏がCBC放送で告白)。
崔淳華は最初の妻の崔先吉の従姉妹、崔財閥(大韓生命の元オーナー一族)の令嬢であった。崔淳華は、一時は韓鶴子より立場が有利だったものの、鶴子にはすでに何人も子供がおり身を引いたとされている。このとき、韓鶴子は文鮮明に対して、かなりの恨みを持っていたとされるがそれでも子作りは絶えず、信者となり17歳で40歳の文と結婚し14人を出産した。
文鮮明没後、息子たちは母親のあらゆる行動に対して不信感を持ち、母子分裂に至ったと元信者たちの専用ブログには掲載されている(具体的に書いてある)。
統一教会発足当初からの幹部が脱会し、統一教会を批判的する「六マリアの悲劇」を刊行。圧力を受け「私は裏切り者」を刊行して修正。しかし、その後「六マリアの悲劇」よりさらに詳細に書いた「統一教會史」を刊行している。統一教会初期の血清めの儀式も綴られている。
その「六マリアの悲劇」では、離婚した崔先吉は文鮮明から毎晩10回以上求められ、まるで蛇のようだったと告白している。天下のラス・プーチンも顔負けのようで、歴史を書き換える必要もあるようだ。
こうした中、岸信介首相と国粋主義の笹川良一が文鮮明の反共主義に共感し、勝共連合を日本へ導入、2人は、学生分門の原理研究会も含め、その布教活動を全面的にバックアップした。
その過程で、この2人は、天皇家を私物化していたようだ。
下記写真は三笠宮家家族と文鮮明の写真であるが、宮内庁が動かなければ、絶対こうした写真は撮ることはできない。文鮮明は当初、昭和天皇との撮影を要求したもののと推察される。
宮内庁一存で采配できるような人物(文鮮明)でもない。また、妻の韓鶴子ではなく、妾とされる梨花女子大学元教授(大学の処分で追放された人物)の崔元福を侍らせている。
文鮮明は内地留学経験(19歳の時に早稲田高等工学校)もあり、日本語を使え通訳は要らない。崔元福は英語の通訳士として世界各国へ同行していた妾とされる人物で日本語が使えるかは不明。
文鮮明と三笠宮家一家の写真、宮内庁は、文とその妾と一緒に良くぞ天皇家の三笠宮家(昭和天皇の実弟)の家族を集めさせ、写真を取らせたものだ。
こうしたことは笹川ではできず、時の首相、岸信介が宮内庁を捻じ伏せ実現させたものと見られる。
ウィキペディアでは、
文鮮明の韓国での教義(説教はすべて教義として活字で残されている)では、
「日本の天皇と韓国の王とが交差結婚をしなければならない」、
「日本の皇室と(文教祖の)孫たちが結婚する時が来て、すべての国の王権の代表者たちと結婚する時代に入る。」、
「韓国が支配された立場とは逆に日本を支配するところまでいかなければなりません。」と説いたとされる。
統一教会の教典「原理講論」の韓国版には、「日本はサタン(悪魔)の国」であり、文鮮明教祖はイエス・キリストの再来と書かれ、日本支部会長が扮する天皇陛下が、文教祖一家にひざまずく儀式を行っている」という。
以上、ウィキペディアなどに掲載されている。
そうしたことも田布施機関という不明な機関の存在が裏付けされる根拠となっているようだ。
文は日本布教のため1958年6月に崔奉春(2~18歳まで大阪在住/韓国帰国後信者)を日本へ密入国させ布教活動をさせたものの、その後密入国で逮捕されると、文が笹川を通じて岸にはからせ、山口県の刑務所に収監されていた崔を釈放させ、1959年、さらに「日本統一教会」の発会を支援し設立され、公に不況活動が展開され、大成功を収めた。
統一教会の問題のすべては、国粋主義者でその亡霊が日本財団として機能している笹川と岸信介の反共での野合(目的達成のためには相手・手段を選ばず)の結果によるもの。
笹川は博打であるモーターボート競走会を自ら発足させ、形は公営であったものの、その収益金配分の采配は、自らが権限を持った。当然、時の宰相たちが容認したものだった。現在でも笹川3世により日本財団として引き継がれている。
文は、反共から朴正煕大統領に食い込み、ニクソンドクトリン(共和党、在韓米軍撤退)反対につき、朴大統領の手先として米政界への活動を開始。その活動の軍資金こそが1976年来、総額36億ドルともされる日本本部から米国への送金となっていた(現在価値としては空前の額である)。
日本での成功体験から、文の目的は米国での布教活動、朴正煕要請の在韓米軍撤退の回避のための米議員に対するロビー活動、さらに布教活動を円滑に進めるため、有力議員たちに入り込必要があり、そのための軍資金が必要であった。日本から巨額を送金させ続け、米国の共和党議員たちへ確実に食い込んでいった。
日本では、統一教会は岸・笹川・清和会議員など広く議員たちに食い込み、その関係がその後も2世・3世の世襲議員に受け継がれ、どっぷり統一教会に溶け込んでいる。すでに切っても切れない関係になっている。
統一教会は、その洗脳性・計画性・綿密性において類を見ない卓越した戦略と戦術を駆使することをすでに構築している。
日本の関係する議員たちは、すでに金のタマを握られており、迂闊な発言はできず、政府3役の関係した議員たちはしどろもどろの発言に終始している。
こうした議員たちは、議員生命を握り潰される恐怖を抱えている。
統一教会関係者らが過激な一面を持っていることは各種襲撃事件ですでに立証されている。
ただ、統一教会の弱点は、母子が分裂した問題の根底にあるもの、当初から最後まで付きまとう下半身問題があるようだ。