アイコン 『長崎を破壊した男達』その3(ポスト大石は金子容三か?)


大石 謹賀新年

令和7年、筆者の初夢は『谷川、金子パパがつき、大石がこねし県知事餅、座りしままに、食らうは金子容三』という嫌な夢だった。

大石 謹賀新年

長崎県の歴史を紐解けば、昭和45年2月、現職の知事だった佐藤勝也氏(3期12年)を、当時、参議院議員2期目だった久保勘一氏が出馬し、4戦目を目指した佐藤氏をダブルスコアーで破り、五島市出身として初めて長崎県知事に就任している。何を隠そう、久保県政産みの親こそ、衆議院議員の金子岩三氏であり、実質的に長崎県を支配していたのは金子岩三氏と言われていた。久保県政の実態は金子県政そのものだったのだ。

 

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当時を知る県OBの長老から聞いた話だが、久保県政での人事権、予算権で、金子岩三氏が大きな影響力を持っていたことは事実である。
言うまでもないが、金子岩三氏の息子(次男)が、金子原二郎氏、衆議院議員4期、知事3期、参議院議員2期を務めた長崎県の超大物、超権力政治家である。
その金子原二郎氏の長女と結婚した谷川建設の社長、谷川喜一氏の父親こそ、何を隠そう、あの裏金国会議員として一躍全国に名を轟かした谷川弥一氏である。
自民党の裏金問題を国民に広く知らしめた大功労者である。

その甲斐あって、昨年秋の衆議院議員選挙では自民党・公明党が過半数割れという歴史的大敗北を喫したわけだが、谷川弥一爺最後の国民への御奉公となった。
『虎は死して皮を留め人は死して名を残す』というが、谷川弥一爺は、死して『恥』と迷惑な『大石』を残したわけである。
そして金子岩三氏の孫で、金子原二郎氏の長男が、ポスト大石と噂されている、あの金子容三氏である。

金子容三

金子王朝第3代金子容三ハーン

昭和45年、久保県政から始まって、長崎県を実質的に牛耳ってきたのは金子家であり、52年間の間、長崎県は金子家に支配され続けている。タタールの『くびき『』ならぬ、金子家の『くびき』である。

『くびき(軛)』とは牛や馬を御する時にその首に付ける道具。つまりロシアがモンゴルに押さえつけられていた時代、と言う意味である。未だに金子家に支配されている長崎県は金子家の(くびき)が続いていると言わざるを得ない』

『大石賢吾長崎県知事』の疑惑を追及する会・秀逸のブログです。どうぞ~
https://ameblo.jp/nagasaki1502/entrylist.html

JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次
 

[ 2025年1月 9日 ]
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