アイコン 韓国に対してへっぴり腰の岩屋防衛大臣は大丈夫か 観艦式日本パージの実録

 

 

岩屋毅防衛相は12日、オーストラリア・ブルネイ・カナダ・インド・ロシア・シンガポール・タイの7ヶ国の海軍艦が、韓国海軍が通知したのとは違い、太極旗と自国国旗のほか、海軍旗や軍艦旗を掲げていたとして、「結果として韓国の通達は必ずしも守られていなかった」と指摘した。
ところが、「(今回の状況について)韓国当局も考えることもあるだろうし、今後、韓国側と話し合っていきたい」、「朝鮮半島情勢を考えると、日韓の連携は非常に重要だ。今回のことは非常に残念だが、それを乗り越え、さらに韓国との防衛交流、安全保障交流を進めたい」と述べ、防衛協力を通じて両国関係に影響を及ぼさないよう努める考えを強調したという。

韓国と日本は、こん日の朝鮮半島情勢については真逆の見方だ。「日韓の連携は非常に重要だ」というが、何が韓国の何が重要だというのだろうか。言葉遊びもいい加減にしてもらいたいものだ。
その挙句が、11日パレード参加を断られながら、12日には、のこのこ国際観艦式のシンポジウムに海上自衛隊のトップらを参加させるなど、岩屋防衛相はいったい何を考えているのだろうか。

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一方、外務省は12日、(パレードの軍艦には各国の国旗と韓国の国旗だけを掲揚するよう強く要請した海上自衛隊旗の旭日旗掲揚を拒否しながら、李瞬臣旗を掲揚したことなどについて)韓国外交部(省)と駐日韓国大使館に抗議している。

岩屋防衛相は、今後、韓国から何を言われても、何をされても「韓国当局も考えることもあるだろう」と、100%譲歩し続けることなる。就任早々から、隣国になめられてしまっている。

<今回の問題>
韓国政府は、「観艦式パレードの参加艦船は、韓国国旗と参加国の国旗だけを掲揚すること」を要請。海上自衛隊旗の「旭日旗」掲揚は認められないと、日本の海上自衛隊艦の参加を拒否した。
ところが実際は、
1、観艦式パレードの参加国の多くが海軍旗も掲揚していた。

2、韓国自らも、文大統領の座乗艦=揚陸艦「日出峰」に、李瞬臣将軍の水軍旗を掲揚していた。(観艦式の演説で、豊臣派遣軍に対して寝首を襲い、豊臣軍に勝った?とされる李瞬臣を称えた演説までしている)
(韓国では英雄扱いする人物が限られているため、和睦合意を無視して海戦に挑み戦死した李瞬臣を、最近、脚色された映画もあり英雄視している)

3、韓国最大の揚陸艦=ヘリ空母「独島」に掲揚された李氏朝鮮時代の国旗(大韓帝国国旗)も韓国の国旗ではない。

2、3は日本を最大限意識したもので、韓国民の反日ナシュナリズムをさらに掻き立てるものとなっている。

南北朝鮮和睦、進まぬ北朝鮮の核廃棄、中国の南シナ海実効支配、米中貿易戦争も含めて緊張状態にある極東情勢において、派閥力学最優先か何か知らないが、大臣新米の岩屋氏(麻生派)を防衛大臣に就任させるとはいかがなものか。

<現在の韓国の国旗>
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<文大統領の座乗艦「日出峰」掲揚の国旗と李瞬臣将軍旗>
慶長の役、豊臣派遣軍は、秀吉が死去したため、明と朝鮮の連合軍と無条件完全撤退で和睦した。しかし、朝鮮の李瞬臣将軍だけが和睦をかつてに拒否し、小西勢の帰国を阻止した。帰国途上の島津軍らが聞きつけ、小西勢の救出作戦を敢行、明水軍も李瞬臣水軍に加勢する中、小西軍勢の船団を救出。しかし、露梁津海峡での待ち伏せ攻撃「露梁海戦」により、島津軍らは甚大な被害を生じた。この海戦で明軍副将や李瞬臣は戦死した。豊臣派遣軍は被害を出しながらも西日本一帯から派遣された大名=藩主たちはみな帰国している。

豊臣軍は明国と李氏朝鮮国の合同軍と和睦=条約を締結したにもかかわらず、従わななかった李瞬臣、一旦和睦しながら参戦した明軍。
隣国との和睦=合意は、現代といろいろ似通っている。
只今、10個目のゴールポスト用意中。

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<李氏朝鮮・隆熙帝時代(1897年~1910年)の大韓帝国の国旗>

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<10.11観艦式パレードの独島艦の旧国旗>
1910年に日本が朝鮮併合する直前までの13年間使用した李氏朝鮮の国旗。

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[ 2018年10月15日 ]

 

 

 

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