1905年創業の石村萬盛堂 事業譲渡 整理か 期待したい再生後のMBO
福岡を代表する老舗菓子メーカー「石村萬盛堂」は、その事業を、辛しめんたいこ製造・販売の「ふくや」を傘下に置く「かわとし」(福岡市)など地場企業5社が出資する新会社に10月1日付けで譲渡する。従業員と店舗は新会社が引き継ぎ、商号は変えずに営業を続ける。
石村萬盛堂は近年、他社との競争激化で業績が悪化しており、新コロナ感染拡大も追い打ちとなった。地場企業の支援を受ける形で事業の再生を図る。
1905年創業の同社はマシュマロを使った「銘菓 鶴乃子」が主力商品で、「ホワイトデー」の起源とされる「マシュマロデー」を発案したことでも知られる。和菓子のほか洋菓子も手掛け、福岡県を中心に店舗を展開している。
関係者によると、同社の売上高は2015年6月期の約58億円、2020年6月期には約30億円まで落ち込んでいた。
これまでの工場への設備投資なども負担となって収益悪化、債務超過に陥っていたとみられる。
同社は福岡市博多区にある本店の土地に加え、工場の売却も進めていたという。
以上、
栄枯盛衰
かつてコメディアンの故小松正夫氏が働いていた店として知られ、同社のCMにも起用されていた。
現在は2017年に4代目となった石村善之亮氏が代表となり、弟の慎悟氏が副社長兼営業本部長に就任し、3代目の善悟氏は代表権を持つ会長に就任している。
善之亮氏は東大卒後トーマツに10年間在籍の異色の経歴の持ち主、事業でその力を発揮すれば、今回一旦譲渡し、再生後、MBOで買い戻すことも可能と見られる。
そのために、福岡財界の中堅どころが今回支援のため新会社を設立し、事業譲渡を受けたものとも見られる。
商業都市の福岡では、有名な和菓子店が多くあるが、石炭時代、産炭地で成功し福岡に進出した和菓子店も多い。
ただ、福岡ではバブル時代、そうした店舗が多店舗展開し、結果失敗した菓子店も多い。石村萬盛堂もその一つだろう。多店舗展開するために工場建設などの多額の投資が必要となる一方、時代はバブルは崩壊、聖域なき削減で企業も交際費を減らし、企業の土産文化もなくなった。その後一時、リーマンショック前の不動産景気はあったものの、それもショックで失墜、東日本震災、消費税増税、国民の報酬は上がらず、消費不況が続き、閉鎖した店舗も多い。同社はFC方式も取り入れていたため、新宮工場の閉鎖など生産のダメージはあったものの、これまで持ちこたえていた。
しかし、今般の新コロナ事態は長きにわたり、菓子業界は購入客も贈答客も減り続け苦戦を強いられていた。
同社の財務内容は不知であるが、工場をかつて3ヶ所(大宰府閉鎖・新宮閉鎖・現在大野城工場のみ)有していたことから、その設備投資にかかわる投資も大きなものと見られ、多額の負債を抱えているものと見られる。
関係する金融機関は潰れることはないことから、石村萬盛堂の資産処分が一通り終わった段階で、残った債権については、早期に大胆な債権放棄が必要ではないだろうか。話のつけ方しだいでは、金融機関は残った債権を2足3文でハゲタカに売却し、石村さんがハゲタカから色をつけその債権を買い戻すこともできようか。
何はともあれ、「新石村萬盛堂」の経営を4代目が早期に安定させることが前提となる。おりしも新コロナ事態はワクチン効果もあり改善・収束に向かっており、客も増加してくる。
これから2年も過ぎればインバウンドも解禁され、そうした客向けの新製品の開発にも注力が必要となる。
福岡から明月堂の「通りもん」に匹敵するニュー菓子をリリースしてもらいたいものだ。
(こうした記事は「新石村萬盛堂」の経営を、雇われ社長として石村善之亮氏が引き続き経営に当たることが前提となる。)
3代目の石村善悟氏は、以前は、福岡にあり、七社会(九電筆頭の長老財界)に対抗し、ふくやの川原さんなどとともに若手勢力として活躍し、福岡経済の振興に当たり、多くの賛同を得ていた。福岡の著名人の一人でもある。
なお、3代目の善悟氏の名前は、正確には善の左にイ=人偏が付く。
スクロール→
会社名 |
株式会社石村萬盛堂 |
本店地 |
福岡県福岡市博多区須崎町2番1号 |
代表者 |
石村善之亮 |
創業 |
1905年(明治38年)12月25日 |
資本金 |
9500万円 |
事業内容 |
和菓子、洋菓子の製造・販売 |
従業員数 |
260名 |
代表菓子 |
和菓子:鶴乃子、仙厓もなか、鶏卵素麺、塩豆大福 |
洋菓子:ヴィンテージアンジュ、レモンケーキ、ブリュレ ド サンク、マシュマロ |
↓博多山笠の終着点でもある石村萬盛堂の本店
「山笠があるけん博多たい」
博多祇園山笠の起源は、鎌倉時代の1241年に博多で疫病が流行った際、承天寺の開祖・聖一国師(静岡茶の始祖)が町民に担がれた木製の施餓鬼棚に乗り、水を撒きながら町を清めてまわり疫病退散を祈祷したことを発祥起源としている。