アイコン 小さなダムの大きな闘い(石木川まもり隊)その2


石木ダム

『意識を変えよう!』

http://ishikigawa.jp/about/alliance/tatakai/

石木ダム建設は金子岩三、金子原二郎2代にわたる金子家の家業である。

昭和45年(1970)、久保勘一知事の3期12年は事実上、第1次金子王朝県政と言っても過言ではなく、昭和57年(1982)から4期16年の高田県政も金子岩三氏を後ろ盾に成立した事実上、第2次金子王朝県政であった。

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平成10年(1998)から3期12年続いた金子原二郎氏による第3次金子原二郎県政こそ本格的金子王朝政権である。

平成22年(2010)2月、発足した中村法道県政も事実上、第4次金子王朝政権と言われている。

長崎県政は昭和45年3月、久保勘一県政から令和の現在までの50年間、金子岩三、金子原二郎、そこに新たに金子家と親族になった谷川弥一衆院議員、谷川家の頸木(馬の頸の後ろにかける横木。自由を束縛するもの。)に繋がれている事実上、金子・谷川王朝県政と言われている。

それだけ金子岩三・金子原二郎・谷川弥一氏の狡猾で非道な権謀術数は他に先駆けて群を抜き、文字通り長崎県の政治経済界全般を牛耳り、県内で行われる大型選挙、自民党公認推薦にも過大な影響力を誇示している。

衆院選・長崎4区で2カ月続いた公認問題、北村誠吾氏イジメに近い引きずり下ろしの「瀬川の乱」も、金子原二郎・谷川弥一の老獪な陰険体質によって引き起こされた典型的な事例である。

文春・金子のサムネイル画像

石木ダム建設工事は利水のためでも、治水のためでもない金子家による金子家のための石木餅であり、『金子岩三氏が餅米と臼と蒸し器を段取りし、久保勘一知事が捏ねて捏ね、高田勇氏と金子原二郎氏がついてつきまくり、中村法道氏が餅を取り出し、丸める60年の石木餅』と言われている。

インターネット長崎奉行・遠山金四郎こと中山洋次

[ 2021年10月20日 ]
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