アイコン 小さなダムの大きな闘い(石木川まもり隊)その1(少し改訂版)


「意識を変えよう」

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http://ishikigawa.jp/about/alliance/tatakai/
江戸時代の有名な狂歌にこんなのがある「織田がつき羽柴がこねし天下餅、座して喰らふは徳の川」
まさに石木ダムは金子家にとって天下餅ならぬ60年の石木餅である。『金子岩三氏が段取りし、久保知事がつき、高田知事と金子知事がこねて、中村知事が餅を取り出して丸める60年の石木餅、座して喰らふは金の子』

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第1章、小さなダムの大きな闘い(石木川まもり隊)
はじめに
現在、長崎県が強制的に推し進めようとしている石木ダム建設工事は約60年前、旧長崎2区選出の国会議員・金子岩三氏が国から調査費用を取り付け、選挙区に持ってきた大型の公共工事である。

あれから60年、あの当時と今とでは公共工事の持つ役割は大きく様変わりしている。

ただ、今でも公共工事が欲しい土建業者がいることに変わりはない。

当時、貧しい地域にとって数百億の公共工事を持ってくる国会議員は神様だったし、また金子岩三氏がそのように振舞っていたことは事実である。
その息子である金子原二郎氏も然りである。

しかし、地元の反対が多いことを知り、石木ダム建設に待ったをかけたのが、当時(昭和35年)の長崎県知事、佐藤勝也知事、南島原市出身だった。
現在の長崎県知事である中村法道氏が南島原市の出身であり、その中村知事に住民の立ち退き強制執行を強く迫っているのが、農水大臣・金子原二郎だとしたら歴史は繰り返される因果なことである。

金子原二郎①
金子原二郎

当時のことに詳しかった元県職幹部から聞いた話と、「山下弘文氏の石木ダム阻止闘争の経過」に加筆して連載し、長崎県民に問いたいと思う。

 

[ 2021年11月12日 ]
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