アイコン 小さなダムの大きな闘い(石木川まもり隊)その14


「意識を変えよう」

石木

http://ishikigawa.jp/about/alliance/tatakai/
支援に来た組合員が「デモはこうなけりゃー、学ばされます」と語る。ダム建設予定地600メートル手前の阻止線に到着した時には阻止隊は約500人にふくれあがっていた。この中には、この日、対策協を脱退する決意を固めデモに参
加した3家族があった。

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午前9時、湯浅昭県北振興局長を先頭にした測量隊24人が到着、たちまち激しい阻止行動が開始された。

「帰れ!帰れ!」のシュプレヒコール、先頭の婦人部隊は数珠を持つ手を合わせ、合掌、涙ながらの抗議が続く。ついに冷たい雨に濡れている道路に正座しての抗議となった。座り込んでいる部隊の数十センチそばを、ジャリを満載したダンプカーが次々に走り抜ける。

安村県北振興局部長がハンドマイクで「土地収用法第11条に基づく調査、測量です。妨害しないでください」と通告するが、抗議の声にかき消され弱弱しい。
時おり激しくみぞれがふりしきる。それでも婦人部隊は一歩もしりぞかない。

「死んでも先祖の土地は渡さん」と強い信念が浮かんでいる。

突然、宣伝カーから独経の声があがった。この日、支援のために駆けつけて来た「橘湾を守る会」三角宣之さんである。三角さんは、川原地区のほとんどの人が信仰している真宗大谷派のお坊さんでもある。反対同盟の結束が固い大きな原因の一つは、温かい隣人愛と真宗大谷派の信心にある。

午前10時、機動隊百数十名を待機させての強制測量であったが、ついに県は測量をあきらめた。振興局長を先頭に引き揚げだした。デモ隊から一斉に歓喜の声
があがる。「もう、二度と来るな!」激しい抗議の声とシュプレヒコールが機動隊の後ろ姿を追いかける。ついに測量は阻止された。県は午後からも、と考えていたが、午後1時45分、この日の測量を断念した。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/751587/

[ 2021年12月 9日 ]
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