アイコン 小さなダムの大きな闘い(石木川まもり隊)その15


「意識を変えよう」
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http://ishikigawa.jp/about/alliance/tatakai/

午前10時、機動隊百数十名を待機させての強制測量であったが、ついに県は測量をあきらめた。振興局長を先頭に引き揚げだした。デモ隊から一斉に歓喜の声
があがる。「もう、二度と来るな!」激しい抗議の声とシュプレヒコールが機動隊の後ろ姿を追いかける。ついに測量は阻止された。県は午後からも、と考えていたが、午後1時45分、この日の測量を断念した。

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反対同盟は、県側を追い返したあと、川原広場で勝利集会を開いた。県労評、地区労、住民団体の代表が次々に激励のあいさつ、「団結で阻止した。今後とも勝利まで闘い抜こう!」と気勢をあげた。

集会の後、同盟員は川原公民館に集まり、勝利の酒盛りが始まった。それぞれの家族が持ち寄った自慢の山菜料理をさかなに、勝利の歌声はいつまでも続いた。
翌日の各紙は大見出しで住民側の勝利を報じていた。「土地図を手に涙の抗議、わしらの故郷を渡さぬ“反対住民母ちゃんパワー結集」「”死んでも土地は渡さん
“住民反対中止」「怒号と無言と、数珠持ち涙の住民ら」、テレビをはじめ、全てのマスコミが反対同盟の側にあった。

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川棚町民の世論も急激に変わっていった。テレビを見てかけつける町民、あっという間に百数十の陣中見舞い、カンパが集まってきたのである。自由民主党長崎県連合会村崎精衛総務も「ダム建設は絶対に許せん。われわれも有効な手を打つ」と語っていた。

インターネット長崎奉行・遠山金四郎こと中山洋次

[ 2021年12月20日 ]
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