『長崎県を壊した男達』その8(自民党県議団の分裂)
昭和32年5月、金子岩三議長の2年の任期は終わるはずだった。

自民党の総裁公選の時と同じく、互いに派閥勢力を糾合して県庁近くの旅館に集まり多数派工作を画策していた。
ここまではいつものことで一般にまだ大したことでもないと思われていた。
ところが、いよいよ5月臨時県議会が始まった5月21日、まず金子岩三議長から岩永副議長に提出されていた辞表を、直ちに受理するかどうかで揉め始めた。
金子派によるミエミエの猿芝居である。
社会党、無所属の野党と金子派は後任議長のめどがついて、すぐ議長の交代ができるように、お膳立てができてから受理したがよい『金子派と野党の打ち合わせ通りのシナリオ』との意見に対し、自民党の森田派は提出されている辞表は、先ず受理してから後任を話し合うべきだと主張した。
それは、それでスジの通った主張である。

金子家がいつも使う横車
ところが、スジは通さないが、横車は通すというのが金子流である。
こうして臨時議会は冒頭からもめにもめ、初日から流会という有り様である。
2日目も初日同様で、議論はいつまでたっても平行線をたどったままだった。
これを収拾するためと称し、金子派の岩永副議長がスジ書き通り動いた。
議長職権によって本会議を開いたのである。
そしてスジ書き通り、金子議長の辞表を受理するかどうかを提案し、社会党、無所属もスジ書き通りに退場した。
議場に残った自民党だけでこれを認めることに決めた。
そして3日目の5月23日は自民党の総裁選の例にならって投票によって候補を一本にしぼうろうという線で話し合いがついた。
そこで、午後2時に議員総会が開かれ、候補に上っている金子、森田、田浦の3人がそれぞれ立候補の挨拶を行い無記名投票の結果、金子19票、森田10票、田浦9票、白票1となり、何れも過半数に達しないため金子、森田の決選投票に持ち込まれた。
その結果、金子19票、森田19票、白票1で同数となり、最後の望みをかけた金子、森田両人での調整が出来ずじまいとなった。
一方、社会党、無所属は議長選の早急開始を迫った。金子、森田両人の調整がつかぬまま議長選挙をやれば社会党、無所属の考え一つで議長は決まる。
すなわち金子だ。

金子派はこうして、『自民党の党内事情で議長選挙を延ばすのはスジが通らない』という大義名分を押し立て、スジ書き通りの横車を通し、再開された議会運営委員会に臨んだのである。
勿論、ここでも話し合いがつこう筈がないのも金子のスジ書き通りである。
そして、金子の筋書き通り、岩永副議長(金子派)は午後8時すぎ本会議のベルを鳴らし、自民党へ脱党届を提出して本会議開会を強行した。社会党、無所属の待つ本会議場には、自民党議員総会から続々と退場した金子派が入ってきた。こうして金子派、社会党、無所属だけで金子岩三の再選が金子岩三のスジ書き通りに決められたのである。
この議決に怒りたった金子派を除く自民党は、金子派15名を除名すると発表した。
かくして1年間あまり39名という絶対多数を誇った自民党県議団は、ここに24名と15名に分裂したのである。
長崎県政は今も昔も自民党分裂の裏では必ず『金子家』の都合、陰謀が見え隠れしているのである。
金子岩三51歳
金子原二郎14歳の春である。

JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次






