アイコン 六カ国会合で定義された「朝鮮半島非核化」とは

 

 

2度あることは3度ある。過去、南北会談は2度行われています。

2000年6月、金大中大統領と金正日総書記との第1回南北会談が平壌で行われています。
相互訪問も2度ほど行われ同年、金大統領は「特に北朝鮮との平和と和解への業績」などを理由にノーベル平和賞まで授与されています。
https://thepage.jp/detail/20180427-00000001-wordleaf?page=1

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2回目は2007年10月、今のムンさんの師匠でもある盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の時に行われています。相手は同じく金正日総書記です。その会談にはムンさんも補佐官として同行してましたから、学習能力が機能していたら北朝鮮の本質は十分に理解できてるはずです。

結果は忘れた方もいらっしゃるようですが、北朝鮮による一方的な歴史的ちゃぶ台返しでした。

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4月27日、3回目の南北会談が行われましたが、日本のマスコミは馬鹿みたいにはしゃいでおるようですが、残念です。

長崎の幕末の偉人小曽根献堂翁の名言があります「冷眼視世(れいがんしせ)」”冷めたまなこで世の中をみよ”

まさに今の北朝鮮、韓国は「冷眼視世(れいがんしせ)」の眼で視ていかなければならない。

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きょうの、(農と島のありんくりん)こそ「冷眼視世(れいがんしせ)」の眼で正確に批評しています。

農と島のありんくりん
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/

移り変わる自然、移り変わる世情の中で、真実らしきものを探求する

六カ国会合で定義された「朝鮮半島非核化」とは

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風邪を引きました。喉の痛みで声がでません。頭の中に鉛でも入れたような気分ですが、指は動くのでできるところまでやってみます。

南北首脳会談がいかなるものであったのか、日本人には一部をのぞいて少し分かってきたようです。

実におかしな「歴史的会談」なのですよ、あれは。

「非核化」こそがテーマなはずなのに、正恩の口からはひとこともその言葉はありませんでした。

というか、会談そのものがなんのために開かれたのかといえば、非核化だったはずです。

それが大前提で、だから国際社会が注目したわけですね。

ところが、非核化のための会談の結論が非核化だというのですから、なんのことやら。別な言葉に置き換えてみましょう。そのおかしさがわかります。

和平会談の結論は和平だでは、同義反復です。

進むどころか、かつての「非核化」の合意より後退しています。高橋洋一氏の興味深い指摘がありますので、かつての6カ国協議での確認文書の文言をみてみましょう。いまよりはるかに突っ込んでいます。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55516

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外務省「第4回六者会合に関する共同声明」(2005年9月19日)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/n_korea/6kaigo/ks_050919.html

「1.六者は、六者会合の目標は、平和的な方法による、朝鮮半島の検証可能な非核化であることを一致して再確認した。
朝鮮民主主義人民共和国は、すべての核兵器及び既存の核計画を放棄すること、並びに、核兵器不拡散条約及びIAEA保障措置に早期に復帰することを約束した。」

要点を書き出しておきます。

●北の2002年の六カ国会合での合意事項

①検証可能な非核化

②すべての核兵器開発計画の廃棄

③NPTとIAEA保証措置への復帰

 米国が北に無理難題を吹っ掛けているかのようにいう人もいますが、これは既に16年前に北が国際社会と約束したことの蒸し返しにすぎないことが、一読すればお分かりだと思います。

もし正恩政権がまともな正統政権ならば、国際合意は政権が代わっても継承されねばなりません。

この外務省の「六者会合共同声明」文書には、もうひとつ興味深いことが記されています。

それは今、問題となっている、「朝鮮半島の非核化」を定義している部分があるのです。

「アメリカ合衆国は、朝鮮半島において核兵器を有しないこと、及び、朝鮮民主主義人民共和国に対して核兵器又は通常兵器による攻撃又は侵略を行う意図を有しないことを確認した。
大韓民国は、その領域内において核兵器が存在しないことを確認するとともに、1992年の朝鮮半島の非核化に関する共同宣言に従って核兵器を受領せず、かつ、配備しないとの約束を再確認した」

かつて北は六カ国会合で、「朝鮮半島の非核化」の定義を、「米国が朝鮮半島に核兵器を持ち込まないこと」と、「韓国が領域内において核兵器が存在しないこと」としてしまっているのです。

これが「朝鮮半島の非核化」の国際的合意に基づく定義です。ここには「朝鮮半島領域内」と明確に記されています。

その後、北は2006年に初の核実験を強行し、09年、13年と核実験を重ねました。

そして正恩政権となっては、今や日常茶飯事です。

だからと言って、北の正統政権が国際社会と結んだ協定を覆したのは北の勝手。協定における決め事まで一緒に消滅したわけではありません。

北は、いったんこの六カ国会合で合意した2002年のラインまで戻って、そこから始めるべきなのです。

自らがチャブ台返しをしておきながら、合意そのものををグズグズにして、まるで2002年合意がなかったかのように都合よく解釈しているのが北です。

何度か書いているように、おそらく北は米朝交渉において、「朝鮮半島の非核化」を、ギリギリまで拡大解釈してくるでしょう。

それは、現状で米国は六カ国会合の約束どおり、韓国には核を配備していないし、近隣の米海軍艦艇にも核は搭載されていないからです。

しかし、遠く朝鮮半島水域から離れて、米本土周辺海域には北を照準したSLBMが存在しますし、グアムにはいつでも北を核攻撃することが可能なB-2が配備されています。

しかしこれは、「朝鮮半島の非核化」とは地理的には無関係だ、「朝鮮半島の非核化」とは純粋に北の非核化のみを指すと、米国は突っぱねることが可能です。

また、南北会談において米国、中国を交えた4者会談の開催で合意したとのことですが、これは南北共に当事者能力がないことを白状してしまったも同然です。

共同宣言文では、「わが民族の運命はわれわれ自ら決定するという民族自主の原則」といいながら、かつてのコリアの歴史どおり、朝鮮半島でいくら戦争が起きても、コリア民族が当事者能力を欠くために、戦闘そのものも後の戦後処理も他人任せという歴史をくりかえしてしまっています。

また、この共同宣言文には、「冷戦の産物である長い分断と朝鮮戦争」と書いていますが、間違った認識です。

あの朝鮮戦争は、北が大国を巻き込んだ、小国が大国を大戦争に導いたという歴史的に希有な例なのです。

分断の悲劇を冷戦一般にすり替えていますが、それは歴史の歪曲です。分断の原因は、正恩の祖父である金日成の仕業だと特定できます。

1950年に北の戦車隊が南を蹂躙して開始された朝鮮戦争は、米国と中国が介入して、というか介入せざるを得なくなって3年後に休戦協定が結ばれました。

韓国軍は哀れほど弱体であり、戦闘の主体は米軍が主力を努める国連軍と、中北との戦争でした。

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したがって休戦協定には、韓国はまったく登場しません。韓国軍もいるにはいましたが、あくまでも国連軍のワン・オブ・ゼムにすぎません。

【・金日成、朝鮮人民軍最高司令官

 ・彭徳懐、中国人民志願軍司令員

 ・クラーク国連軍総司令官

 ・南日 朝鮮人民軍代表兼中国人民志願軍代表

 ・ウィリアム・K・ハリソン・Jr 国連軍代表 】

ですから、南北で終戦協定を結ぶことは不可能で、共同宣言文どおり、「南北米3者、または南北米中4者会談の開催を積極的に推進していく」必要があります。

現状でこのような4カ国協議をするなら、必然的に非核化をテーマから外すことは不可能でしょう。

あんがい「朝鮮半島の非核化」について、米中の足並みが揃う可能性も捨てきれません。

それは米中共に、「核を持った統一朝鮮」など望んでいないからです。

この4者協議がいつになるのかは分かりませんが、共同宣言文では「休戦協定65周年となる今年」と言っているところから、今年後半のどこかだと考えられます。

米朝首脳会談がトランプによれば「3、4週間後」ですから、いずれにしてもそれ以降となります。

トランプも、米朝会談が不発な場合、より厳しい海上封鎖をしながら4カ国協議に場を移すというシナリオもないわけではなさそうですが、なんとも言えません。

日朝会談については、長くなりそうなので、別の記事とします。

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[ 2018年5月 1日 ]

 

 

 

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