アイコン 韓国映画『軍艦島』の嘘と妄想

 

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韓国映画『軍艦島』さすがに、DVDレンタル屋の韓流コーナーにも置いてません。

きょうも、1週遅れですが、(農と島のありんくりん)韓国の映画『軍艦島』の嘘と妄想を興奮しないで読んでみてください。

こんな嘘塗れで下劣な映画を創ったり観たりする国との友好なんて未来永劫ありえんです。

農と島のありんくりん
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移り変わる自然、移り変わる世情の中で、真実らしきものを探求する

韓国映画『軍艦島』の嘘と妄想

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「徴用工」問題の起爆剤となった韓国映画『軍艦島』は、ほんとうに真実を伝えているのでしょうか。

俗称軍艦島こと端島(はしま)の元島民らは、この韓国映画について2017年8月15日に韓国大使館に抗議文を手渡し、証言の一次資料を公開しているので、閲覧することができます。

「真実の歴史を追求する端島島民の会」より、映画『軍艦島』の公開 ...

内容的には映画はこのようなものだったようです。

「映画の冒頭、山口県・下関に到着した「徴用工」や「慰安婦」を日本兵が窓のない貨車に詰め込む場面があり、ナチスのホロコーストと同列という印象を観客に植え付ける。

さらに、女子小学生が慰安婦として性病検査を受けさせられたり、朝鮮人徴用工は言語に絶する虐待を受ける。

慰安婦が無残に虐殺される回想シーンもある。

 日本の敗戦が近づくと、会社側は虐待の事実を隠蔽するために、朝鮮人全員の殺害を決定する。ラストは朝鮮人徴用工と慰安婦が銃を取って日本兵を倒し、石炭運搬船で軍艦島から脱出する、という内容だ」(産経2018.年9月26日)

https://www.zakzak.co.jp/soc/news/180926/soc1809260008-n1.html

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韓国国内の『軍艦島』チラシ

まず、映画の中に登場する朝鮮人たちは強制連行により送り込まれたか、甘い言葉にだまされて日本に渡ったところ奴隷労働を強制された,とされています。

日本政府、ないしは日本軍が直接関与して、朝鮮半島で労働者狩りをしたという事実はまったくありません。

「徴用」があったのは、大戦末期のみの6カ月間にすぎません。

昨日ふれたように、大戦前の1939~41年の期間は民間企業による「募集」、開戦後の1942~44年9月の期間は朝鮮総督府による「官斡旋」、戦争末期の1944年9月~1945年3月は国民徴収令による「徴用」でした。

韓国は、この時代区分による朝鮮人労働者制度をゴッチャにして、意図的に混同して使用しています。

そもそも「強制連行された徴用工」という概念自体が、朝鮮総聯系の朴慶植が1965年に書いた『朝鮮人強制連行の記録』から来ている造語で,当時は存在しない用語でした。

これは「従軍慰安婦」と一緒で、今や一人歩きの虚構に成長してしまいました。

誤解されているようですが、日本は朝鮮半島から労働者を輸入したのは、日中戦争の1939年から1945年までのわずか6年の短い時期にすぎません。

36年間あった日本統治時代の末期6年のことで、それまで朝鮮人は日本国内での労働を制限されていたために、それに対しての朝鮮人の不満のほうが大きかったほどです。

なぜ、日本国内での朝鮮人労働が制限されていたのでしょうか。

それは長く続いた不況で日本人労働者すら失業するものが多いのに、朝鮮人労働者を入れてしまったら、今の入管法改正案のように単純労働者市場が飽和してしまうからです。

このために、朝鮮人が日本に渡航するためには、国内での住所や仕事の証明書の提示が義務づけられた「渡航輸止制度」すらあったほどです。

ちなみに、徴兵制も朝鮮人は免除されていました。

朝鮮で徴兵制が敷かれたのは、戦争末期の1944年4月のことであり、実際に開始されたのは9月でした。

それも朝鮮人が同等に徴兵されないのは、差別的待遇だとする声が高まったためです。

パク・クネの父親であるパク・チョンヒ元大統領が血書をしたためて、軍官を願ったなどという新聞記事も残されています。


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なお、徴兵実施が大戦末期だったために、朝鮮人兵士の大部分は戦場に赴く前に終戦になっています。

それはさておき、韓国が「強制連行」と呼んでいるこの徴用令は、国内は1939年(昭和14年) の国家総動員法第4条の発布からでしたが、これも朝鮮人に適用されたのは5年遅れの1944年(昭和19年)9月のことでした。

しかも、韓国では女子の勤労動員は終戦まで行われませんでした。

韓国が「従軍慰安婦」と混同している女子挺身隊は、国内ではとうに行われており、朝鮮人女性のケースはすべて志願制でした。

映画にある小学生女児の性病検査など妄想の類です。

もちろん、慰安婦は女衒が斡旋する募集制で、日本政府やましてや軍は一切関わっていないのはいうまでもありません。

これについては、カテゴリー「慰安婦問題」に大量に記事を書きましたのでご覧下さい。

慰安婦が日本軍によって強制的に連行されたというエビデンス(証拠)は、朝日と韓国の30年間の悪戦苦闘にも関わらず、気の毒になにひとつ見つかっていません。

では、1944年の「徴用」で軍艦島にやってきた朝鮮人労働者はどのような処遇だったのでしょうか。


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韓国国内ポスター

韓国側は軍艦島の朝鮮人「徴用工」についてこう主張しています。

①大戦中日本人労働者は安全な場所に移され、中国と韓国の強制労働者に代わった
②強制労働者の1000人以上が死亡した
③死体は海か廃坑に投げ捨てられた
(2017年5月南ドイツ新聞に送付された端島島民の会の抗議文より引用)

①の危険な作業現場に日本人の代わりに朝鮮人労働者を送ったということですが、ありえません。

当時の朝鮮人労働者は、戦前から働き続けている日本人坑夫とは比べ物にならない未熟練工でした。

ガテン系現場を経験した人ならば、一番危険な場所にあえて新人の未熟練工を送るということがありえないのはお分かりになりますね。

未熟練工が間違った場所を掘削したりすれば、即落盤につながりかねません。どうしてそんな場所に朝鮮人労働者にわざわざ新米の朝鮮人労働者を送ることなんかありえません。

元軍艦島(端島はしま)の炭鉱夫の証言です。

「とんでもありません。馴れない者は危険な作業はさせられません。事故でも起きれば落盤やガス爆発に繋がります。危険な仕事は熟練した日本人がやっていました。

事故が起きれば全員の命が危ない。坑内は日本人も朝鮮人も運命共同体でした」
(松本国俊『軍艦島 韓国に傷つけられた世界遺産』)

また徴用工像はツルハシでふんどし姿で描かれていますが、これもありえません。

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https://ironna.jp/article/7769

軍艦島でツルハシで仕事をしていたのは明治期だけで、大正期から既に機械化されていました。

軍艦島は石炭を掘り出すのは圧力作動式機械でやり、掘った石炭の運搬は昭和11年からベルトコンベアーに替わっています。

これらの装備は、日本国内でも最初であって、軍艦島がいかに時代の先端技術の粋を集めた鉱山だったのかわかります。

韓国側は、朝鮮人労働者が酷暑45度の地下1000メートルの坑道で労働を強制させられたと主張していますが、これも荒唐無稽です。

そもそも当時の坑夫だった島民の証言によれば、軍艦島の行動は最深で710mにすぎず、送風装置があるために最高で35度に押えられていました。

ですから徴用工像のようにフンドシ一丁になる必要はありませんでした。

仮にフンドシ姿だったとしても、当時の日本人はひと踏ん張りという時はすぐにフンドシひとつになったようですから、虐待の証拠にはなりません。

坑道には水飲み場も設置されていて、交代で休憩出来るようになっていました。

また韓国側は、朝鮮人労働者が一日12時間から16時間は働かされたことが、奴隷労働だったように主張していますが、当時は労働基準法は存在しません。

軍艦島に限らず、当時12時間ていどの労働はままあることで、戦時中にはそれが15時間に及ぶこともありました。

その代わり軍艦島の労働者は、国内賃金よりずっと高い賃金と住宅環境を保証されていました。

朝鮮人労働者もそれに惹かれてこの島に来たのであって、それを今頃になって奴隷と一緒だったなんて言って欲しくはありませんね。

そもそも日本人坑夫と朝鮮人坑夫は同一労働をしている以上、これも朝鮮人労働者だけに課していたわけではありません。

極めつけは、軍艦島の日本兵が残虐な弾圧していたという映画『軍艦島』の②の描写です。

そもそも、軍艦島には兵隊はひとりもいませんから、いもしない兵隊がどうやったら、朝鮮人労働者に銃を向けられるのか、ひとつご教示願いたいものです。

島にいたのは警官がわずかに2名だけにすぎません。いかに島の治安がよかったのか分かります。

当時の坑夫の証言があります。

「(警官による朝鮮人労働者の暴行が常態化していたことに対して)それがでたらめというのはね、警察官は坑内のことはしないんですよ、絶対。坑内のことは保安監督署がするのだから、坑内のことは警察がするもんじゃない」(『軍艦島に耳を澄ませば』)

いや、兵隊も警官もいなかったが、この保安監督署がナチスのSSばりの暴虐をしたんだというなら、1000人も殺しまくるくらいですから、さぞかしゴッソリと配置されていたのでしょうね。

残念ながら、そのような資料は見つかっていません。

少し考えればあの狭い島でそんなナチの親衛隊みたいな凶暴な奴らが駐留していたら、なんらかの目撃証言があるものなのですよ。

1000人殺して処理するというのは、並大抵のことではありません。韓国は人の生き死にを軽く扱いすぎます。

他国を大量殺戮したと非難する以上、しっかりとした裏付けを出すべきです。亡くなった朝鮮人労働者はみな事故死で、坑内ではむしろ日本人坑夫のほうが危険な場所で作業しているのですから、朝鮮人労働者のほうが日本人より死亡率が高いわけがありません。

おそらく彼等朝鮮人労働者が軍艦島にいた期間に亡くなった数は、二桁の少ない数字のはずです。

『炭鉱誌長崎県石炭史年表』という資料に、事故死亡数の記録が残っています。

・昭和10年3月 ガス爆発事故 日本人18名・朝鮮人9名死亡
・同11年10月 落盤事故  日本人1名死亡
・同11年5月事故死 日本人1名
・同11年落盤 日本人1名死亡

死亡率に関しては、九州大三輪宗弘教授の石炭統制会資料の研究がありますが、日本人労働者と朝鮮人のそれとはほとんど差がないと記されています。

死亡した朝鮮人労働者の遺骨は、丁重に家庭に送ったという記録があります。

③で韓国は、海に1000体も死体を捨てたなどと妄想していますが、そんなことをすればいくら戦時中でも漂着した死体の山で警察沙汰になったことでしょう。

戦争中の日本には警察がなかったとでも思っているようです。

廃坑に捨てたというのも、日本人はそんな墓穴を世界遺産登録申請できるほど心臓が強くありません。

本当にあったらひた隠しにすることでしょう。

先ほども述べましたが、大戦中の軍艦島での事故による死亡数は二桁です。

とすると、事故以外で1000人近く死んでいることになりますから、その記録を開示して下さい。

兵隊によって多くの朝鮮人労働者が殺された、死体を捨てたなどというのは完全に虚偽で、死亡率や労働時間も日本人と変わらず、暴動や脱走事件などは皆無でした。

米軍による空襲も、1945年(昭和20年)7月31日の1度だけであり、その時に発電所などの施設が空爆されただけで、それ以外は戦闘に巻き込まれてはいません。

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映画『軍艦島』

このように、韓国側の主張はうウソと妄想に満ちています。

最後に、韓国にも当時子供だった、このような韓国人体験者の記録も存在することを添えておきます。

「熟練労働者だった父の月給は戦時中物価が上昇した時は180円にも達した。教師や役所の職員よりも多い報酬だった。

しかもお金を使おうとしても使う所がない孤立した島だったので、一定の金額を貯金することができた。

鉱夫の子供たちは学校に通うことができた。日本はその頃、普通学校を国民学校と、高等普通学校を中学校と名を変えて呼んでいた。

故郷で普通学校1学年を終えたグ・ヨンチョルは国民学校2学年に編入した。40人を超える同級生の中で朝鮮人は3人だけだったが他の2人は女学生だった。

学校生活は悪くなかった。朝鮮で日本語を習ってきていたのに加え、頭の良かったグ・ヨンチョルは日本の子供たちを差し置いて最高の成績を維持することができた。性格もおだやかで、おもしろい冗談もよく言うし、運動もできたので、日本の子供たちにもよく溶け込んでいた。
(中略)
戦時体制となり全ての食糧について配給制が敷かれていた。朝鮮では聞いたこともなかったようなパイナップルやマンゴのような熱帯の果物が次々と入ってきた。

毎日補給船にぎっしり載せられてくる新鮮な果物だけをみても日本が必ずや世界を支配するように思われた」
(『神仏山』(2011年 グ・ヨンチョル)

もちろん、戦争の激化に伴って、このような牧歌的風景は消えていったことでしょうし、日本側の行き過ぎた強制、あるいは暴行がなかったとも思いません。

いや、あって当然です。

しかし、考えていただきたい。当時の日本人も米は食えず芋を主食にしていた時代なのです。

韓国人「徴用工」らが痩せ衰えたという主張は嘘だとは思いませんが、それとて日本国民と一緒なのです。

しかし、朝鮮人労働者を兵隊が駆り集め、奴隷の如く働かせたあげくは殺しまくり、死ぬとごみのように海に捨てた、軍艦島はアウシュビッツだったなどという韓国側の主張は虚偽と妄想に満ちています。

[ 2018年12月 5日 ]

 

 

 

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