アイコン 私は、政策というのは暮らしの中の痛みから生まれるものだと思っている


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自分達の言い成りにならないからと言って、12年間長崎県の為に苦労してきた知事を踏みつけ、そんな醜い爺さんの言い成りになってシルエットポスターやチラシを配らされる哀れな谷金賊の県議のみなさん、恥ずかしくもなく生きていますか。
そんな県議のみなさんに強烈な一撃のパンチが繰り出されています。
読んでみてください。少しは政治家らしくなれるかもです。
それではfbから山中希さんの痛撃な一打となる投稿を紹介します。

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山中 希
https://www.facebook.com/ymnknozomi
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私は、政策というのは暮らしの中の痛みから生まれるものだと思っている。
日々の中でのトゲのように刺さる痛みを1つ1つ取り除き、少しでも生活を快適にしてくように動くことが政治の役割だと思っている。
痛む人たちの声を受けて動くこと。
また、実際にその痛みの中にいた者の実感のこもったアクションほどに、世の中を変えていける力のあるものはないと思っている。
長崎を変える、変える。
何をどう変えたいのでしょうか。
あなたたちの言う痛みとはなんなのでしょうか。
少なくとも私は、その政策集から、あなたたちの実感のこもった痛みを感じることはできなかった。
一体何を痛んでいる?
まんぼう?
こんなのいつまでも続くものじゃないだろう。
では、痛みを伴わない政策は何を意味しているのか。
これは、単なる人心に対する媚びである。
財源を示すこともできない、実現できもしない政策を掲げ、夢を語る。
それは詐欺師のすることであり政治家のすることではない。

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私はそんな無責任なことを、事情のわからない人たちに対して行うことは、県民に対する背信だとすら思っていますよ。
いったい誰を見て政治をしているのでしょうか。
自分の票を数えるのではなくて、県民を見てくださいませんか。
いつまでもそうやって自分や一部の人たちのことばかり考えているから、長崎は変わらなかったなどと無責任なことを言えるのではないですか。
本当に変わらなかったのですか?
100年に一度の大変革期と言われることも否定するのですか?
みんな口を揃えていっていますけど、これは一体なんなんだろう。
人口流出について県を叩いていた人たちが見受けられましたが、あなたは議員なんだからその責任の一端を負っているでしょう。
何の立場からものを言ってるのかな、この人は議員の仕事と自覚があるのかなと疑問を持たずにはいられませんでした。
大変恥ずかしい。
発言のレベルが低すぎる。
役割を理解していないから、ブーメランになっていることが理解できていないのである。
痛みから生じていない政策について。
女性副知事の件。
逆差別でしかない。
「私は」以前から、女性という下駄を履かせてもらって評価されることは反吐が出るほど嫌である。
だから、女性立候補者を!みたいな運動も白けるばかりであった。
女性だろうが男性だろうが、やりたきゃやりゃいいのであって、性別でどうこうというものであるべきではない。
ふさわしい人なのであれば、能力があれば、男でも女でも押し出されていくに違いないんだから。
あと、この業界に限って言えば、女性であることは下駄でしかないんで、社会進出を阻まれてるとか思ったこと、微塵もないです。
むしろめちゃくちゃ優遇されているというか、女だからありがたがってもらってると思うので逆に申し訳ないくらいです。

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政治の世界で女性であることはただでさえプラスです。
黙ってても周りが前に出そうとしてくれます。
それでも女性が増えないんだとしたら、それは政治が魅力がない世界だからってだけです。
政治の舞台とこれまで社会が求めてきた女性の行動範囲というか活躍の範囲にズレがあるというだけです。
無理に手を引く力を強めるのではなく、女性が活躍したいと思う舞台にすることから考えるべきです。
「ある程度の社会からの力が加えられない限り、ジェンダーギャップは解消されないのよ」という人もいます。
それはわかるが、不自然な力を加えて女性を押し出したところで、そもそも自然に押し出されない社会の仕組みだから女性が出ていかないんじゃないのかい?
根本的な部分の見直しをすることから逃げるなよといいたい。
無理な力で押し出されたものは、それに適合しない環境との歪みに悲鳴をあげ、元の形に戻っていく。
イギリスだってどこだって、政策として推し進めた結果、ギャップを解消しているのだからというのもわかるが、そもそも欧米は我々よりも100年以上前にさまざまな権利を勝ち取って進んでいる国だということを忘れてはいけない。
社会の空気をその年月の分かけて醸成して環境を整えた結果、そうなっている。
出産では無痛分娩するなとか小学校入るまでは子供のそばにいてあげなきゃかわいそうだとか、いまだに母親に謎のルールを押し付けてくるのが当たり前の日本において、何が女性の社会進出だよと白けてしまう。
そうした「母親の負うべき当たり前」にどれだけ女性が苦しんでいるか。
逃げ場のない子育てを迫られ、どれだけのことを諦めているか。
仕事を始めたって、子供に何かあれば母親が仕事を放り出していかなければいけない。
空気が、環境が、まだ追いついていない。
まず私たちは、お母さんたちが子育てに苦しまなくていい環境を作っていかなければいけない。
子育てって幸せなんだから!
小さいうちは幸せなんだから!
大きなお世話なのである。
そうじゃない人たちもいるのである。
いや、子育てってめちゃくちゃしんどいよな!
逃げたい時もあるよね、っていうことをまずは理解する空気こそ欲しい。
女は子育てから逃げるなというムードをどうにもせずに社会進出なんてちゃんちゃらおかしいのである。
さすが、子育てが他人事の人たちの考えることだよ。
それに、社会でどう活躍していきたいかは、個人個人で思いに濃淡があります。
女性がみんながみんな、社会で認められて偉くなりたいわけじゃないわけ。
むしろ、面接の時には絶対退職しないでと約束した女性社員が結婚を機に続々と辞めていくというのが日本の中で起きている現実です。
みんながみんな、そこでガツガツ活躍していきたいわけでもないの。
家庭とのバランスを取りたい人もたくさんいる。
それなのに偉い人の中の女性の割合がどうとか言っても、望まないことなのだとしたら現実に合ってないのではないですか?
なんかちょっとこれ系の話って、現実と結構乖離しているように感じて乱暴じゃないですかね。
数字だけどうにかすればいいことなの?
言ってること怖いんですけど。
男女の生物学的な違い、子育てにおいて果たさなければいけない役割に明確な違いがあるために、どうしても査定に差が出ることは致し方ないながらも、
平等ではなく公平な基準の中で女性が評価を勝ち得ることができるなら、その時に初めて我々女性はその評価を純粋に喜びとともに受け取ることができる。
女性だから副知事になったと言われながら生きることは喜ばしいことであろうか。
私なら嫌です。
これ、本当に、周りにおられる本気で仕事してる女性に聞いて作ったのでしょうか。
私がもしこれを聞かれたとしたら、まず酷評したと思いますよ。
「それだけジェンダーギャップを解消していこう!というシンボリックなことなんだからいいじゃないか」とか言うんだろうと思いますよ。
だとしたら、そのシンボル化のために、女だから副知事になったと嫌味を言われ続けるその人物は、その政策のための犠牲かなんかなのですか?

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そんなことより、長崎県庁の職員の中での管理職の男女の割合を見て、また、その人の希望を照らし合わせて、より柔軟な「県庁舎内でのジェンダーギャップの「現実と希望に即した」見直し」を訴える方が、シンボリックであり現実的であり、フェアである。
私はこう考えます。
皆さんにもさまざまな意見があると思います。
一つの主張として参考にしてください。
100%同意できるような意見なんてこの世にはありません。
んなことは私も子供じゃないからわかってる。
ただ、40%も同意できないことには同意できないと主張していかなければならない。
この件については、言ってる意味と意図していることは理解できるが、政策として叫ぶことに知性を感じられない。
私が、そこそこ影響力のあるtwitterで叫ばず、本人たちに届くようにここで言っているのは、あなたたちへの情けです。

[ 2022年2月19日 ]
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