アイコン 北方領土の歴史と返還交渉経過 日露平和条約締結の危険性

 

 

1、1855年(安政2年)2月7日、日露和親条約(下田で締結)。
結果、択促島と得撫島の間に日露の国境線を定めた。樺太の国境は定めず、日本人とロシア人・アイヌ人が混在居住した。

2、1875年(明治8年)5月7日、樺太・千島交換条約。
日本は、樺太の領土権を放棄し、得撫島から占守島までの千島列島(クリル諸島)の領土権を得た。

3、1905年9月5日、日露戦争後のポーツマス条約で南樺太(北緯50度以南)が日本領となった。

4、1945年(昭和20年)8月14日、日本、ポツダム宣言を受諾して全面降伏して終戦。

5、<終戦後北方領土を占領した汚いソ連>
ところが、ソ連は終戦後の1945年(昭和20年)8月18日になって、日ソ中立不可侵条約を一方的に破棄したソ連軍が、カムチャツカ半島方面より千島列島北端の占守島に上陸して日本守備隊と戦闘、8月21日停戦、8月23日、日本軍約4万人を武装解除して「占守島の戦い」は終わった。

6、8月28日から9月1日までにソ連軍は、北方領土の択捉・国後・色丹島まで占領、

7、9月3日から5日にかけて歯舞群島を占領して北方領土の不法占拠が始まった。

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捕虜になった千島守備隊は、8月6日米軍が広島に原爆投下、ソ連は敗戦濃厚と見るや8月9日、ソ連軍は日本との日ソ不可侵条約を一方的に破棄して満州へ侵攻、捕虜にした日本兵とともに、樺太・千島列島の北方領土で捕虜になった日本兵も、極寒地シベリアへ抑留し、シベリア鉄道建設の重労働に従事させられ、多くの元日本兵が犠牲となった。

1952年のサンフランシスコ平和条約でも日本が放棄する領土に含まれなかったことから連合国48ヶ国(ソ連は不参加)も承認している。
サンフランシスコ平和条約 第二章、領域、第二条(C)で、日本は千島列島と南樺太を放棄させられたが、旧ソ連が実効支配していた千島列島と南樺太の帰属がロシアにあるとは認めていない。

1956年10月19日、日ソ共同宣言(条約)
鳩山一郎首相とソ連のニコライ・ブルガーニン首相
宣言の内容
1、日ソ両国は戦争状態を終結し、外交関係を回復する。
1、日ソ両国はそれぞれの自衛権を尊重し、相互不干渉を確認する。
1、ソ連は日本の国際連合加盟を支持する。
1、ソ連は戦争犯罪容疑で有罪を宣告された日本人を釈放し、日本に帰還させる。
1、ソ連は日本国に対し一切の賠償請求権を放棄する。
1、日ソ両国は一九四五年八月九日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。
1、日ソ両国は通商関係の交渉を開始する。(同日に日ソ通商航海条約を締結)
1、日ソ両国は漁業分野での協力を行う。
1、日ソ両国は引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡し(譲渡)する。

共同宣言の締結により、日本の国際連合加盟への障害がなくなった。
1956年(昭和31年)12月18日、国際連合総会でソ連は他の東欧諸国ともに日本の加盟に賛成し、全会一致による日本の加盟が実現した。また、この国際連合加盟により第3次鳩山一郎内閣は総辞職し、石橋内閣(石橋湛山首相)に引き継がれた。
しかし、平和条約の締結交渉は、北方領土4島の全面返還を要求する日本と、平和条約締結後の2島返還で決着させようとするソ連の妥協点が見出せないまま、開始が延期されたままになっている。

逆に1960年(昭和35年)、第2次岸改造内閣(岸信介首相)が日米安全保障条約改定を行った事に対してソ連が反発し、歯舞群島と色丹島の返還(ソ連側は「両国間の友好関係に基づいた、本来ソ連領である同地域の引き渡し」と主張)を撤回したため、両国の政治的関係は再び冷却した。

1973年(昭和48年)に日本の田中角栄首相がモスクワを訪問するまで、両国の首脳会談は17年間も開催されなかった。

1993年(平成5年)、(平和条約締結後に歯舞群島・色丹島を日本へ引き渡すことを明記した)日ソ共同宣言は、エリツィンロシア大統領来日時に「日ソ間の全ての国際約束が日露間でも引き続き適用される」ということが確認され(東京宣言)。

2000年(平成12年)にはプーチン大統領が来日時に「56年宣言(日ソ共同宣言)は有効であると考える」と発言した(森首相時代)。

2001年(平成13年)に両国が発表した「イルクーツク声明」では日ソ共同宣言の法的有効性が文書で確認されている(森首相時代)。

北方四島以外の千島列島は、日本が戦争によって得た領土ではなく、1875年、日露が平和裏に交渉して締結した千島樺太交換条約によって日本領土になったもの。

サンフランシスコ平和条約は、千島列島と南樺太の最終的な帰属は、将来の国際的解決手段に委ねられる事となっており、それまでは千島列島と南樺太の最終的な帰属は未定となっている。
しかし、旧ソ連はサンフランシスコ平和条約には調印していないうえ、日本はソ連との間で「千島列島と南樺太」についての特別な条約も結んでいない。
つまり、千島列島と南樺太は正式には、どの国にも帰属しておらず、元日本領なので、あらためて日本は領有権を主張し直すことができる。
日本は、「千島列島と南樺太」の領有を主張する必要がある。
ましてや、北方4島は昔から固有の領土でもある。

安倍政権が、2島返還で日露平和条約を締結すれば、前提条件に国境が確定され、2島以外の千島列島の島々すべてを日本国側の方から放棄することにもつながる。

一つ言えることは、中国に空母を売るウクライナの問題で、日本はまったく関係ないにもかかわらず、米国の尻馬に乗り、ロシア経済制裁に動いたこと。ロシアは大規模な経済制裁を受け、為替は暴落、大不況に突入した。北方4島を安く買える最大のチャンスであったが、その時期を失した。米国に対して13歳の子供のように盲目的に追随する以上、日本は救われない。

<北方領土>
択捉島までは日本固有の領土、得撫(ウルップ)島から占守(しゅむしゅ)島まではロシア帝国が領有し、ロシア帝国がロシアも日本も領有していた樺太を、日本の領有を放棄させる代わりに、ロシア帝国が提供した千島列島。
どこの国も汚いやり方ばかり。日本は昭和時代に入り、世界からなめられ続けている。

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[ 2018年11月17日 ]

 

 

 

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