アイコン 王将と上杉氏との関係 銃撃事件の真相とは・・・ 


今になって状況証拠だけでの逮捕、それもタバコの吸殻、警察はほかに何を握っているのだろうか。報道では次第に明らかにされつつあるが、これまで関係したと見られる参考人はすべて否定しており、もしも判断だとしても自供しない限り状況証拠を固めるしかないようだ。
警察から唯一特定危険指定暴力団に指定されている工藤会については、教唆、状況証拠、連座制だけでも工藤会トップは福岡地裁で死刑判決を受けている(罪名は殺人や組織犯罪処罰法違反など、現在控訴中)。

逮捕された人物が所属する工藤会は、最盛期の組員数1000人以上、業界では、「激しいが組員に対しては面倒見が良く、団結力が強い組織」と言われてきていた。しかし、絡んだと見られる民間人や企業に対しての凶悪事件の多発で、福岡県警にばかりに任せておれないと本丸の警察庁まで出動した特別壊滅作戦に乗り出し、傘下組や組員の懐柔工作なども奏功し、組員は300人前後(2019当時)まで減少している、ただ、うち半分は服役中だというすごさ。
福岡県では、料飲食店、パチンコ店、大林組・清水建設など大手ゼネコン、地方ゼネコン、九電、西部ガス・・・等など、2000年には(下関市の)安倍晋三宅火炎瓶投擲事件も発生し、関係したと見られている。ただ、福岡県にはほかにも撃ったり火つけたりの激しい組もある。
(指定暴力団数は全国25団体、うち5団体が福岡県、全国一多い県でもある)

 

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<王将 第3者委員会の報告書>
社長が射殺された王将は事件後、第3者調査委員会を発足させ、当委員会は2016年3月に報告書を公表したが、最下の表を見る限り、王将は金の成る木だったようだ。
上場会社として、コンプライアンスが叫ばれる中、当時の王将の大東隆行社長は先代からの不適切な取引を解消しようと長期にわたり動く中、2013年12月、社長が社員の誰よりも早く出社し近隣を清掃する習慣を知り尽くした何者かによって、まだ暗い12月早朝の5時45分ころ、凶弾4発を受け亡くなった事件が発生した。

第三者委員会の報告書では、不適切取引が明らかにされ、創業家との関係が深い福岡県内の不動産会社を経営する男性が率いる企業グループとの不適切な取引があり、約200億円が流出し、約170億円余が未回収になっていたことが明らかにした。

王将と関係があるとされる福岡の企業は、京都通信機建設工業グループ、福岡ではバブル時代以前から頭角を現し、・・・で有名な不動産会社として知られ、義兄が部落開放同盟の大御所、政治的にも絶大な力を持っていた。

(株)京都通信機建設工業(代表:上杉昌也)/2006年12月解散。
  福岡市中央区赤坂1-14-22、センチュリー赤坂門ビル
(株)福岡センチュリーゴルフクラブ(代表:上杉昌也)/2011年6月に負債額約340億円を抱え民事再生申請により経営破たん。(民事再生であり、そのまま会社は存続している)
(距離が長く難しいコース、併設してホテルやヘリポート。1990年開業、女子プロゴルフツアーのヴァーナルカップなど開催)
(株)創栄/2011年6月に福岡センチュリーゴルフクラブとともに負債額約85億円を抱え民事再生申請により経営破たん。(民事再生であり、そのまま会社は存続している)
雲仙温泉・旅亭「半水廬」(1泊5万円前後の超高級旅館/4ツ星旅館)

<王将の経歴>
1967年、加藤朝雄氏(故人)が創業。殺害された大東隆行氏は創業者の義弟にあたる。28歳の時に加藤氏に請われて王将に入社。
1977年、第3者調査報告書によると上杉昌也氏(もしくは上杉佐一郎氏)と創業社長の加藤朝雄氏とが知り合ったのは1977年ころとされている。
1980年9月、福岡支店(事務所)開設(まだ1店も九州に進出していなかった)
1985年、阪奈生駒店の出店につき、現場で建築の許認可がなかなか下りず、王将側は上杉
氏側に口利きを依頼、その後、すみやかに認可されたという。
1990年ころ、王将は大阪戎店の火災の補償問題で、「京都通信機建設工業」に交渉を依頼、
      謝礼の1億円が脱税として国税に摘発される。
1995年1月、バブル終期に大証2部と京証に上場。
王将は、創業家の長男、加藤潔氏が社長の時代、実質メガバンクから資金を借り入れ、その軍資金で全国へ拡大路線をとり、また、くるくる寿しの回転ずしや串揚げ屋など多角化して失敗していた。
2000年、大東氏、社長昇格。
2013年7月、東証一部昇格、一部上場申請にあたり、事前に問題の資金について社内で調査委員会が設けられ、その取引内容と現状が浮き彫りにされた。しかし、その内容は非公開とされた。当時の東証の審査は、コンプラアンス問題や不適切な団体とのお付き合いには厳しかった。なお、王将の現在の監査法人はトーマツ。
2013年12月19日、大東隆行氏、銃撃を受け死亡。
2016年3月、社長の死亡事件を受け、王将は第3者調査委員会を設け調査にあたり、その報告書が公表された。2013年の社内調査をより詳しくしたものになっているという。

<京都通信機建設工業>
朝日新聞が1999年報じた記事では、王将の脱税問題を取り上げていた。これは1989年に王将戎橋店の火事に関係している。6階建ビル、5階まで王将が借り、6階は華僑のビルオーナー家族が居住、オーナー家族は逃げ遅れ3人が死傷した。ビルオーナーと補償問題がこじれ、王将の加藤朝雄氏は上杉昌也氏が経営する「京都通信機建設工業」に代理人依頼。この時に、王将側は「京都通信機建設工業」に対して謝礼として1億円を支払ったが、その経理処理に当たり税務調査で不適切な処理が指摘され、重加算税を課され脱税と認定された。(仲介により、王将は火災ビルを8億円で王将が買い取ることで和解した。(弁護士以外の者が代理人行為で金銭を受け取れば弁護士法違反に問われる。現在は司法書士も金額により受任できる)

上杉佐一郎氏(1919年4月16日生~1996年5月10日没)、
1982年に部落解放同盟中央執行委員長に就任、亡くなるまで委員長(1982年~1996年)。
福岡県三井郡出身、「部落解放の父」と呼ばれる松本治一郎(実業家、政治家。1935年から国会議員、最後は1949年まで参院副議長/松本組の創業者)に見い出され、部落解放運動に参画、頂点に上り詰めた人物。義弟の上杉昌也氏ともども、いつごろから京都にも居宅を持ったのかは不知(京都も同和の一大地でもある)。

福岡市西区で、左右の同和間で揉めたときも上杉氏が出てきて押さえ込んだことがあった(2000年代であり昌也氏と思われる)。
2002年にスタートした福岡市が実質主体の広大な区画整理事業での渡辺通り再開発、国体道路の南側の大再開発であったが、何故か一部、国体道路の北側も区画整理に組み入れられていた。その中に京都通信機建設工業の福岡本社ビルもあった。当時記者は、福岡市役所に出向いて担当課に北側がどうして入っているか質問したが、「計画図面のとおりです」の一点張りで一切答えなかった。当区画整理事業地内にはいろいろな問題を抱えた一帯も多く存在、1995年に閉店したキャバレー南などもあった。
当地では、福岡で対立する地元・中央傘下・地方のいろいろなところが出先を構え、当開発にも関係していた。そんじょそこらの人物では纏め上げられないのが現実の再開発事業でもあった。

上杉佐一郎氏は、1987年2月に、東京ホテルニューオータニ「鶴の間」で対談集『連帯を求めて』の出版記念パーティを開催、会費は2万円(当時としては高額)で約2000人が出席。

1987年4月には、上杉佐一郎氏と異母弟の上杉昌也ともども美空ひばりと親交があり、福岡済生会病院に、上杉佐一郎氏の紹介により「美空ひばりさん」が長期入院した。

若いときの美空ひばりの後援者は、山口組3代目田岡一雄組長(頭山満や玄洋社を崇拝)だったことが知られている。

餃子の王将の創業者加藤朝雄氏とも親しく、王将が餃子の店を全国に展開した時、300億円あまりの資金をメガバンクに迂回させ地銀から調達させたとされる。当時の同社は、到底借り入れることができない額だった。当時から京都の裏社会では「『王将』のバックは、上杉佐一郎さん」としていたようだ。

最盛期の上杉委員長の力は絶大なもの、(税務申告の書類に)部落解放同盟のハンコがあれば税金フリーパスだったという。京都の財界人も、多かれ少なかれ世話になっていたという。
<課税上の同和減免制度である「七項目確認」書>
1968年1月30日、大阪国税局長高木文雄(当時)と部落解放同盟中央本部ならびに部落解放大阪府企業連合会との間に結ばれた取決めの確認書締結。政府の部落開放事業は2002年に終了。当確認書は事業終了で解消と見るかまだ生きていると見るのか。団体の右も左も関係する。
2002年以降はその件で2010ころまで国税と対立していた・・・。

<ディリー新潮の記事 2016年9月掲載分>問題となっている上杉昌也氏の話
王将の大東隆行社長が射殺された後、王将は第3者委員会を発足させ、その報告書の内容について、ディリー新潮は2016年3月、上杉昌也氏(72歳/当時)に直接取材し、上杉昌也氏は次のように述べた記事を掲載している。(長文)

「(未回収金170億円の)内訳を見ると、『王将』の子会社である『キングランド』から、私が185億円を借金し、95億4千万円は返済したものの、89億6千万円の債務が残ったなどとされている。
(王将子会社のキングランドは1995年に設立され、2005年に解散している。)

 さらに、ゴルフ場(福岡センチュリーゴルフクラブ)のホテル(「ホテル センチュリーヒルズ」)を31億円で『王将』に売却し、のちに8億円足らずで買い戻したとか、雲仙の旅館「半水廬」も20億円で売りつけながら3億円弱で買い戻したりと、まるで不当な取引を行ったかのようです。
 それらの数字にはまったく身に覚えがありませんが、ただ、取引自体は、私が『王将』から50億円の融資を受けたことが発端になっています。

私が福岡でゴルフ場をオープンしてからしばらく経ち、1995年に住専問題が起こりました。私の経営する会社も、住専の大口融資先でした。
そのため、中坊公平弁護士率いる住管機構から債権回収のターゲットにされ、1998年4月に住管機構から特別調査を受けました。挙げ句、その月の27日までに50億円の返済を要求された。猶予はわずか2週間しかなく、私はギブアップする覚悟を決めました。
たまたま、王将創業者の加藤朝雄氏の次男で、『王将』の財務担当の専務だった加藤欣吾さん(代表取締役専務)に、『もう、お手上げですよ』と、電話で愚痴をこぼした。当時、社長は長男の加藤潔さん(ウクライナ女性が妻、妻子へのDV発覚、海外逃亡)でした。
 すると、2日後、欣吾さんから『それくらいだったら、うちでなんとかします』と、50億円を用立ててくれたのです。まさしく、地獄に仏とはこのことでした。

■食い違う債務額
 その50億円で、住管機構との和解が成立すると、福岡の本社ビルを担保に銀行から借金をしたり、持っていた土地を売却したりして、40億円を調達し、『王将』に返済しました。
 それでも、未だ10億円の債務が残っていましたが、経営が軌道に乗るまでの運転資金として、追加で3億円とか5億円を借り、それを返して、再び借りたりということを繰り返していました。
ところが、そのうちに借金を返しても、『王将』が物件を担保から外してくれず、トラブルになりました。
 そのころ、わざわざ欣吾さん(専務)が、京都から福岡の会社まで来て、私の留守中に『社長の了解は得ているから』と従業員にウソをつき、怪しげな書類にうちの社判をつかせるようなことも何度かあった。
 そして、最終的に、私の債務額でかなりの食い違いが出てくるのです。

 2005年の段階で、『王将』は私に対し、90億円以上を貸し付け、そのうち返済額は40数億円に過ぎないと主張してきました。

経営悪化の責任を取って、潔さんも欣吾さんもすでに『王将』を去っていた。私は潔さんのあとに社長に就いた大東さんと何度も話し合いの機会を持ちました。
  私としては40数億円という数字には納得いきませんでしたが、あと5億円を支払えば残りは債権放棄するからということで、『王将』との和解に応じました。
『王将』は、東証1部への鞍替えを準備していたため、いつまでも債権を引き摺るわけにはいかないという事情があった。(王将は2013年7月東証1部に大証2部から鞍替え上場)
 その結果、私が負った債務は約40億円であると、双方で確認し合い、それは文書にも残されているのです」

■責任転嫁
 それなのに、なぜ、今になって、約260億円というケタ違いの金額が私に流出したことになっているのか。
 私には、『王将』の内情が火の車だったことに理由があったと思えてならない。
 欣吾さんが専務だった当時、『王将』は商工ローン大手の日栄の株を大量購入したり、不動産投資にも積極的に手を出し、大赤字を抱えてしまったことがある。
 終いには、ロンドン市場で50億円もの外債を発行したものの、デフォルト寸前にまでなっていた。
『王将』の経営陣は、損失の穴埋めのために、経理上、それを私に押し付ける格好を取ったのではないでしょうか。
私との取引で損失が発生したことにすれば、会社内部で誰からも異論を唱えられないと責任逃れをしたに違いないのです。
 私が上杉佐一郎の弟だから、アンタッチャブルだという誤った偶像化がされてしまったのかもしれません。
 第三者委員会による『調査報告書』は、すでに2013年に実施されていた社内調査を叩き台にしていると聞いています。
その社内調査は、東証1部上場への準備で、辻褄合わせに行われたに過ぎないものでした。本来、それは、公表されるべきではなかった。
ところが、大東さんの事件が起き、私に責任転嫁をしたままの調査結果が明るみに出てしまった。そのせいで、私は白い目で見られることになったのです。

■なぜ、社長は狙われたのか
 なぜ、大東さんが狙われなければならなかったのか。
 私なりに、京都府警の刑事には知っていることを伝えました。
1つは、大東さんが陣頭指揮を執り、『王将』が2005年から始めた中国・大連への進出です。すでに、『餃子の王将』という商標権を中国企業に取られている問題があったにもかかわらず、なぜか、6店舗もオープンさせました。しかし、結局のところ、撤退せざるを得なくなったのは、大東さんが現地で経営を任せていた中国人女性やその親族と大揉めになったからです。

2つ目は、ハワイへの社員旅行に連れて行かれた取引業者が、(創業者の)朝雄さんの妻つまり大東隆行さんの姉からエルメスのバッグをねだられた問題もあった。取引業者がそれを断ると、『王将』からあっさり取引を切られたのです。生活に困った取引業者は飛び降り自殺をしました。
 それらの事実を伝えても、刑事の反応はいま一つでしたが……」
(3つ目は、中国事業での失敗に絡むものだった)

 京都府警捜査1課の刑事は、上杉氏への事情聴取の際、「あんた、同和の人ですやん。同和即反社ですよ」など、氏を挑発するような言葉を繰り返したという。
京都府警に“同和即反社”などの発言があったのかを訊ねると、「誰を事情聴取したかも含め、お答えできません」(広報)。
(京都府警は、そうした言動で上げ足取られ捜査が行き詰った可能性がある)

また、王将フードサービスは、「調査報告書」がデタラメであるとの上杉氏の指摘に対し、「第三者委員会による調査結果に基づく報告書について、コメントする立場にありません」と言うのみだった。

上杉昌也氏は「反論の機会も与えられないままに犯人だと決めつけられ、私は社会的信用を失いました。そのため、資金繰りにも窮し、現在、経営するゴルフ場が乗っ取られる危機に瀕しています。この汚名をそそぐには、事件解決を待つよりほかないのです」
と掲載されていた。
以上、いろいろ参照

<部落開放運動と政治と地上げ>
部落開放同盟、全日本同和会・・・、部落開放関係の多くの団体は政治・行政に深く関与しており、行政、警察、国税などに対して政治が絡み強い組織、
一方、反社とされる人たちは行政・警察に対して表立って決して対立しない。
(熱海市役所職員たちが恐れ戦いた結果、生じた土石流事件では、新幹線という地方の人も関係していた)

1981年に北九州市で発覚した1970年代の土地転がし脱税事件、上杉佐一郎氏の腹心だった部落解放同盟小倉地区協書記長(当時)の木村政男と全日本同和会会長(当時)の松尾正信らが、北九州市で13件の土地転がしを行い、総額約9億円の土地を約26億円で北九州市に売却し、約17億円の利益を上げ、脱税した事件が摘発された。
当時、部落開放同盟は社会党と関係が深く、社会党の衰退とともに上杉佐一郎氏らの利権派が台頭、全日本同和会は1960年5月設立当初は自民党議員6人が顧問に、1970年代に利権派の松尾正信氏が会長となり、幹部らが逮捕されたりし、1983年に内部分裂、全国自由同和会が設立された経緯がある。全日本同和会は現在でも自民党タカ派の支援を受けている。現在の会長には松尾正信氏の息子の信吾氏が就任している。

裏社会では問題がこじれた場合、大物が仲介に乗り出すが、王将の場合、相手が裏も表も顔が効く大物人物過ぎて、それも付き合いで年季が入っており、誰も仲介に動かなかった、動けなかったようだ。
政治家も裏社会も泣く子も黙るカリスマ性を持った人物がいなくなって久しい。


スクロール→

王将から上杉氏グループに支出され未回収となっている案件

案件名

資金流出額

未回収額

ハワイ土地建物(高級邸宅)

182,900

124,000

王将・伏見店隣接地購入

330,000

204,000

京都東山区ビル購入

53,000

45,000

大阪・戎橋店購入手数料

10,000

10,000

貸付金、センチュリーゴルフ場関連

878,000

408,000

センチュリーゴルフ場ホテル購入

317,000

243,000

センチュリーゴルフ隣接地+養鶏場購入

315,000

282,000

センチュリーゴルフ会員権

27,000

25,000

福岡うきは市の「ヘルスケア原鶴」

42,000

37,000

福岡・9階建の赤坂ビル

137,000

85,000

福岡市南区高宮のマンション

20,000

13,000

長崎雲仙旅館「半水廬」

212,000

184,000

前渡金(案件不明)

100,000

99,000

小計

2,623,900

1,759,000

 代物弁済

-532,000

 

合計

2,091,900

1,759,000

・王将第3者委員会の報告書に基づき作成/単位:万円

 

[ 2022年10月31日 ]

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