アイコン 韓国の盗人が盗人した対馬仏像 2月1日に上告審判決 治外法権国の韓国、引き渡さず


長崎県対馬市の観音寺から盗まれ、韓国に持ち込まれた仏像「観世音菩薩坐像」(同県指定有形文化財)の所有権を主張する韓国の浮石寺(忠清南道瑞山市)が仏像を保管する韓国政府に引き渡しを求めた訴訟の控訴審(高裁)判決公判が2月1日に開かれることを受け、浮石寺側は25日に出した報道資料で、仏像を同寺に引き渡すよう命じた一審判決を支持して検察の控訴を棄却するよう裁判所に要請した。

 仏像は韓国人窃盗団が2012年10月、対馬の観音寺から盗んで韓国に持ち込んだもので、高さ50.5センチ、重さ38.6キロの金銅観音菩薩坐像。

1951年に仏像から見つかった像内納入品の中には、1330年ごろに瑞州(瑞山の高麗時代の名称)にある寺に奉安するため制作されたと読み取れる内容が記録されており、浮石寺はこれをもとに「日本の倭寇に略奪された仏像は本来の所有者であるわれわれに返還されなければならない」と一方的に主張している。

 2017年1月の一審判決では、これらの記録などを根拠に「浮石寺の所有と十分に推定できる」として同寺への引き渡しが命じられた。

韓国政府側の検察は、記録が実際に高麗時代末期に作成されたことを立証する資料がなく、記録の信ぴょう性は高いとはみなせないなどと主張し、控訴した。

 

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浮石寺側は「2021年9月に文化財庁の鑑定で本物と認められており、控訴の理由がない」と主張した。

観音寺が1953年に法人化した時点から盗難事件が発生した2012年10月までの約60年間仏像を占有していたため、一定期間が経過すれば占有者の所有が認められる「取得時効」が成立するとの主張に対しては「奪取など悪意による占有は日本の民法でも取得時効が認められない」と反論した。
12月14日の口頭弁論では、浮石寺は「元々の位置に文化財が戻るのが国際的な流れ」と改めて主張。韓国政府は「この事件は日本側にある文化財を盗んできたもの」と反論している。
以上、朝鮮日報

さらに最高裁=大法院に上告すること必至、観音菩薩様が可愛そう。

韓国の報道では、観音寺側は寺の創建住職が1523年ころ、朝鮮に渡り取得してきたとする内容を掲載しておらず、60年余りしか取得していなかったような印象操作を行っている。

1392年に建国した李氏朝鮮の王朝は、初代から仏教に対して大弾圧、1万ヶ所以上あったとされる寺は、両班たちが主導して焼き討ち、廃寺・廃仏にしてきた。韓国に残った寺は、李氏朝鮮の世宗時代になると全土で僅か36寺院まで減じていた。

世祖の功臣とされる士林派(朱子学/両班・地方が多い)が政治の主導権を握り、儒教を統治手段に使い、高麗時代に保護された仏教を大弾圧、廃仏・廃寺運動を主導し、国家が認める寺は242寺に限定した。
第3代太宗は1407年(太宗7年)に88寺院までさらに減らさせた。
第4代の世宗は1424年(世宗6年)にさらに36寺院まで減らさせた。

韓国にこうした史実の記録が存在しているにもかかわらず、手前都合よく棚の上に押し上げ、韓国の学者や知識人も倭寇の収奪説を国民感情に迎合させ吹聴している。

李氏朝鮮の仏教第一次弾圧で残された242寺にも「浮石寺」の名などなく、第2次・第3次弾圧で残った寺にも当然、浮石寺の名はない。

こうした動きに静観している日本國政府(口だけ返せと言うだけ)、条約に基づきさっさとユネスコなり国際司法裁判所なりに訴えればよいものを、治外法権国の韓国相手にラチが開くものではない。
へっぴり腰の日本國政府は、韓国政府に1965年の基本条約も無視され、正式で公式な協議要請も無視され、日本の尊厳・プライドなど政府あげて損ない続けている。
韓国製の統一が日本の政治に深く介入していた結果なのだろうか。

責任も取らず、今時、しどろもどろではっきりさせないところを美徳とする日本の政治は何か勘違いしているようだ。政治をはっきりさせないならば、政治はグローバル化しないことだ。
今の日本の政治家たちだったら、国宝:弥勒菩薩半跏思惟像でさえ、韓国が嘘八百・屁理屈・御託を並べ返せと言ったら返す可能性すらある。
日本の政治家に求められるのは、はっきりモノを言い、主張すべきところははっきり主張することではないだろうか。金魚の糞から脱して。

 


 

[ 2023年1月26日 ]

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