アイコン 「令和」詣でに氏子ダウン ご朱印授与当分見合わせ 大宰府・坂本八幡宮

 

 

 新元号「令和」ゆかりの地として注目を集める福岡県太宰府市の坂本八幡宮の氏子会は7日から、ご朱印の授与を見合わせることにした。
訪れる参拝客が殺到し、ボランティアとして対応してきた氏子たちが疲労困憊し、倒れる人も出てきたためだという。
 神社は新元号の出典となった万葉集にある「梅花の歌」の序文で舞台となった歌人大伴旅人邸の所在地として一躍脚光を浴びていた。氏子会の木原一臣会長(79)によると、改元後は氏子会が用意したご朱印を求めて参拝客が殺到し、連休中は1日で5000人が訪れたという。

 神社には常駐の神職がおらず、70代の氏子ら20~30人が中心となって行列の整理などの対応を続けてきた。しかし、多忙のために疲労で体調を崩す氏子が相次いだ。
「令和」は、『万葉集』巻5に残されている。

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「梅花の歌三十二首」の歌そのものではなく、序文に天平2(730)年正月13日に帥老(そちのおきな=大伴旅人)の宅に集まって宴会をくり広げたこと、時に初春の「令月(よい月)で、気は良く風は穏やかだ(風和=やはらぐ)」とある。この中の「令」と「和」を組み合わせたもの。
元号で初めて日本の古典から採用したが、この序文、万葉仮名(大和言葉を漢字で表記する)ではなく、漢文で記されている。

中国の南北朝時代に記された『文選』の「帰田賦(きでんのふ)」の一部を借用したらしいから(「仲春令月、時和し気清らかなり」)孫引き(引用)となり、純然たる日本古典から採用したものではないと批判する学者も少なくないという。
以上、報道参照

元々日本の字は中国から入ってきているもの、それまで字はなかったことから、当時の中国の影響を受けるのは当然のことだろう。
まあ、快い元号であり、理解した上で中国に語源を求めることもあるまい。
令和の英訳は「Beautiful Harmony」だそうだ。そうでよかった。明治時代に心寄せる政治家もおり、意味が大きく違ってくる。

大宰府は、時の権力者たちによって大伴旅人も菅原道真も島流しにあったものだ。大伴旅人は文人でもあり、その憂さ晴らしの饗宴の席での歌だったのだろう。
一方、時代は変わるが、菅原道真公は左遷した京の権力者たちを呪い殺した怨念のお方だ。
やはり、昔も今も中枢からの左遷は辛い。

(韓国の政治は負の輪廻、文氏による積弊清算、左遷は当然ながら、仕事も与えられず、病人でもないのに隔離されている前政権時代の高級官僚の人たちもいるそうだ。さらに重箱の隅を突き、些細な不正や前政権への忖度などなんらか出れば即逮捕だそうだ。大昔から進歩もせず人の時代も輪廻のようだ)

少し静かになったが、当元号を提案したとされる学者さんは有頂天になり過ぎているのはいただけない・・・。元号を興醒めさせるお人のようだ。

なお、大伴旅人の屋敷は、昔は坂本神社の地とされていたが、最近は3ヶ所の候補があるそうだ。遺構が坂本神社周辺から出てこなかったことによるもので、旅人のほかの歌と照らし合わせれば、遺構が出ているほかの地が有力とされる。ただし、坂本神社の地は発掘調査されていない。
1、大宰府政庁北側の坂本神社の地、神社は戦国時代に造営されている。
2、大宰府政庁東側の月山東地区官衛跡地、ここからは柵や玉石敷の溝の遺構が見つかっており、中国・王義之由来の曲水の宴の小川でないかとされている。
3、大宰府条房 榎社周辺、榎社は菅原道真公の屋敷があったとされ、大宰府の長官である太宰師しか身につけない皮帯を飾る白玉帯が発掘されており、その辺に大伴旅人の屋敷があった
のではないかと推察されている。

いずれもロマンのある地だ。大宰府天満宮の奥のトンネルを抜け、竈神社へ、修験道の遺物が残る宝満山の登り口があり、頂上からは福岡市がある筑紫平野を一望できる。
大宰府は大陸からの防衛の地でもあり、水城(全長約1.2キロ、高さ9メートル、基底部の幅約80メートル・上部の幅約25メートルの二段構造の土塁)が築かれている。38代の天智天皇が663年、白村江の戦いで新羅・唐軍に大敗、新羅・唐軍が倭国に攻め込んでくると予想し、水城を築かせたもの。

神宮皇后は筑紫にゆかりある皇后、14代の仲哀天皇が熊襲征伐中に病死し、変わって征伐、その後、三韓征伐を行い、百済、高麗をも服属させた威勢の良い新羅王の血を引く皇后として知られ、遺児となる誉田別尊(後の応神天皇)を福岡市近郊の宇美八幡宮で生んでいる。皇后は福岡市の香椎宮など筑紫の地に多くの痕跡を残している。
神宮皇后の父は、9代天皇の開化天皇玄孫・息長宿禰王(何百年の生きる)で、母は新羅王子天日矛裔(子孫)の葛城高顙媛。
すべて、和銅5年(712年/43代の女帝元明天皇の時代)に太安万侶が創造・編纂した古事記の世界の話である。ロマンだ。
元明天皇は女帝だ。奈良時代は現世のように明治以降のようにギスギスしていなかったようだ。

 

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[ 2019年5月 8日 ]

 

 

 

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