米価高騰の裏で進む「利益なき農業」/見えない構造の歪みと農家の葛藤
17週連続で値上がりを続けるコメ価格。農林水産省の最新調査では、全国のスーパーにおける米5キロの平均価格は4233円に達し、消費者の家計を直撃している。しかし、この高騰の恩恵を受けていないのが、皮肉にも米を育てる農家自身だ。
鳥取県南部町でコメ農家を営む庄倉三保子さんは、自身の出荷価格が30キロあたり9000円から9500円であることに触れ、こう語る。
「スーパーで2万4000円で売られているのを見て本当にびっくりします。でも私たちはそんな価格では出せません。途中で価格を上げることも難しいんです」参照:https://news.yahoo.co.jp/
庄倉さんのように、個人向けに予約販売を行う農家でも、値上げは「ほんのわずか」にとどめざるを得ないという。背景には、顧客との信頼関係と、値上げへの心理的・経済的なハードルがある。
■ 流通の「中間構造」に潜む価格のねじれ
このような価格の乖離がなぜ起きるのか。その根本には、米流通の構造的な問題が横たわっている。生産者から消費者に至るまでには、複数の卸、流通、小売が介在し、それぞれがコストと利幅を積み上げていく。特に精米や物流など、加工・運搬過程の可視性が乏しいことが、「価格の透明性」を著しく損なっている。
つまり、農家は「価格の決定権」を持たないまま、価格の最下流に位置している。市場で販売される価格が倍以上になっても、その差益は生産現場にはほとんど還元されない。
■ 農政とJA批判では足りない「構造の議論」
コメ市場の混乱については、政府の農政やJA(農業協同組合)のあり方を指摘する声も根強い。たしかに制度設計や需給予測のミスが影響している面はあるだろう。しかし、それだけではこの問題の本質を見誤る。
真に問われるべきは、「米価が誰によって、どのように決められているのか」「その決定プロセスに農家が参加できているのか」という構造的な課題である。今、日本の農業は「市場に委ねたはずが、実は市場からも切り離されている」という矛盾の中にいる。
■ 消費者と生産者の“距離”が価格を歪める
都市部の消費者は、高騰する米価に不満を感じつつも、その背後にある生産現場の実情を知る機会が少ない。一方で農家は、価格転嫁できずに苦しみながらも、消費者に値上げを申し出ることに強い抵抗を感じている。この「情報と共感の断絶」が、信頼にもとづいた地産地消の流れを阻害している。
今必要なのは、単に「安い米」を求めるのではなく、「誰がどのように作り、どんな対価が適正か」を理解しようとする姿勢だ。
■ 今後に向けて:持続可能な農業のために
農業を単なる「生産活動」ではなく、「生活を支える事業」として再構築するには、いくつかの視点が不可欠だ。
流通の透明化と再設計:農家が価格決定に関与できる直販ルートの強化
ブランド化と経営支援:生産者が自ら価値を発信し、価格に反映できる体制づくり
消費者との再接続:共感をベースにした食の選択を後押しする教育と仕組み
価格の高騰は、単なる「物価問題」ではなく、食と農の持続可能性を問い直す警鐘でもある。庄倉さんのような農家が、胸を張って「自分の米はこの価格です」と言える社会こそ、本当に豊かな食の未来ではないか。