アイコン 韓国拉致の対馬仏像 保存処理せず放置・腐食進む 歴史が証明する廃寺

 

 

北朝鮮は生きた日本人を拉致し、南朝鮮=韓国は仏像を拉致する。

2012年対馬市の観音寺から韓国の盗賊たちによって韓国に持ち込まれた銅造観世音菩薩坐像の所有権控訴審で、法ではなく民心判決する韓国の裁判所が仏像の検証を実施したという。

大田高裁第1民事部は6日午後、大田国立文化財研究所で金銅観世音菩薩坐像の現場検証を行った。仏像保管状態とき損状態を確認し、仏像の真偽を確認するためだった。
現場検証結果、仏像のき損状態が深刻であることが分かった。
仏像の顔は黒い色に変色し、左手の甲は一部が落ちたような跡が発見された。また、仏像の所々が緑色に錆がつき、腐食された跡が発見された。
国立文化財研究所関係者は、取材陣に「現在としては、保存処理する権限がなく、国家間紛争の余地があり手を付け難い」と話したという。
現在、韓国では盗難品を保存処理させる法律がなく、仏像は別途の保存処理なしで封印された状態となっている。
以上、韓国紙参照

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盗人たちやその後拉致した住職らの塩分を含む手垢などで仏像が毀損しているおそれがある。
元々の所有者は忠清南道瑞山市にある曹渓宗の浮石寺であるが、李氏朝鮮時代に儒教を国家統治に利用し、仏教を廃絶、当時、瑞山市の曹渓宗「浮石寺」は廃寺となっていた。高句麗時代に国教とされた仏教、寺は儒者や両班・盗賊たちにより破壊されたり、燃やされたり、金目のものは略奪され、仏像・仏画・経文などが流出した。
金銅観世音菩薩坐像は500~600年前(1400~1500年ころ)に日本・対馬の海音寺へ渡ったとされる。

<治外法権国・韓国=ユネスコ条約違反>
文化財不法輸出入等禁止のユネスコ条約により、即刻、日本へ返還されるべき対馬仏像。

<国交=貿易があった日本>
李氏朝鮮の政府は、1407年頃国防上の見地から興利倭船の入港地を慶尚左道都万戸所在地の東莱県富山浦(現在の釜山広域市)と慶尚右道都万戸所在地の金海府乃而浦(現在の慶尚南道昌原市)に限定した。1410年、日本の使送船(公式の使者)の入港地もこれら二港に限定された。
当時、朝鮮貿易に大きな利権を持っていた対馬の早田左衛門太郎は1426年、慶尚左右道各地で任意に交易できるようにして欲しいと朝鮮政府に訴えたが、拒否され、代償として蔚山の塩浦(現在の蔚山広域市)が入港地に追加された。
これらの港は当初日本船の入港指定地に過ぎなかったが、やがて多数の日本人が住み着くようになり、朝鮮政府はこれを制止できなかった。これが「三浦倭館」という。
1510年、交易上のトラブルから、三浦倭館の日本の商売人たちが三浦の乱を起こし、李氏朝鮮により武力鎮圧され、三浦倭館は閉鎖されたが、後に一部再開された。
盗賊や両班たちが倭寇に売ったのか、三浦倭館などの対馬などの商人たちに売られたとしか考えられない。韓国の浮石寺のクソ坊主が主張するように、(松浦党=元々松浦藩の)倭寇であっても仏教に帰依しており、お寺を襲撃するとは到底考えられない。

<李氏朝鮮王朝による仏教大弾圧>朝鮮王朝の記録によると、
李氏朝鮮王朝3代目の太宗7年(1407年/李芳遠)の弾圧の際、存続できたのは88寺院(曹渓宗24寺、天台宗 17寺、華嚴宗 11寺、慈恩宗 17寺、中神宗 8寺、摠南宗 8寺、始興宗 3寺)のみとなった。
曹渓宗で残った24寺は、梁州通度寺・松生雙巖寺・昌寧蓮花寺・砥平菩提岬寺・義城氷山寺・永州鼎覺寺・彦陽石南寺・義興麟角寺・長興迦智寺・樂安澄光寺・谷城桐裏寺・減陰靈覺寺・軍威法住寺・基川淨林寺・靈巖道岬寺・永春德泉寺・南陽弘法寺・仁同嘉林寺・山陰地谷寺・沃州智勒寺・耽津萬德寺・靑陽長谷寺・稷山天興寺・安城石南寺のみであった(浮石寺は曹渓宗)。
  浮石寺の名は残った88寺院の中にもない。

応永の外寇は、室町時代の応永26年(1419年)に起きた、李氏朝鮮・太宗による倭寇討伐を名目とした対馬攻撃で糠岳戦争ともいう。朝鮮では己亥東征と言われ、対馬藩主の反撃にあい10日あまりで撤退。沈静化させるため、後に、対馬藩主に対して土地を供与、米を朝具するなどし、これ以降、朝鮮貿易を対馬藩が独占した。

2、4代目の世宗6年(1424年)の弾圧の際、存続できたのは36寺院、禅宗の18寺院と教宗の18寺院のみとなった。

3、9代目の成宗(在位1469年 - 1494年)は、僧侶の度牒制度(国による身分証制度)と出家を禁じた。

4、・10代目の燕山君(在位1494年 - 1506年)は、2宗派の本山である興天寺(禅宗の本山)と興徳寺(教宗の本山)を1504年に廃寺にし、そのほかの寺院も遊興施設にかえた。

5、11代目の中宗(在位1506年 - 1544年)は、1507年に科挙の僧科を廃止し、また仏像を破壊させた。

<弾圧緩和>
中宗の死後、幼少の明宗が13代目の王に即位し、文定王后が政治を補佐すると、破仏政策に強い不満を持っていた王后は仏法中興を図った。1551年(明宗6年)には既に廃止されていた禅教の2宗を復旧させた。

第7代目の世祖(1455年~1468年)は日本とは融和政策を採っていた。

これらから分かるとおり、当時、廃寺になっていた浮石寺である。

なお、今年登録された韓国の世界遺産「山寺、韓国の山地僧院」では、700~900年代に創建された7ヶ所の山寺が登録された。
慶尚南道梁山の通度寺、慶尚北道栄州の浮石寺、慶尚北道安東の鳳停寺、忠清北道報恩の法住寺、忠清南道公州の麻谷寺、全羅南道順天の仙厳寺、全羅南道海南の大興寺となっている(青は88寺院の中に入っていない)。
また、対馬仏像をかつてに所有権を主張する忠清南道瑞山市にある曹渓宗の浮石寺は、同じ曹渓宗でも上記の浮石寺とは異なる。

歴史書では青は廃寺になっており、歴代の李氏朝鮮王朝が記録した歴史書の内容が虚偽なのか、寺名を変えたのか、隠れ寺だったのか・・・。
判定したイコモスが知っていることだろう。一度詳しく問い合わせしたいものだ。
放射性炭素で年代も特定できる。

対馬仏像は保存処理も去れず放置・腐食が進む・・・仏さんが可哀そう。
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[ 2018年8月 8日 ]

 

 

 

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