アイコン 「長崎の吟行地」

 

 

遠藤周作が小説「沈黙」を構想したきっかけとなった場所が長崎にあります。

長崎市南山手のグラバー園の前に建つ十六番館です。

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日本で一番古い木造作りの洋館で東山手の16番地に1860年6月にアメリカ領事館の職員宿舎として建てらています。

 

現在の活水高校のところに建っていました。

1863年に建てられたグラバー邸よりも3年も前のことです。

1879年(明治12年)英国人のキリスト教宣教師エリザベスラッセルが活性女学校を作るまで十六番館は空家でした。日本初のミッション系の女学校として十六番館を本校として開校したことで十六番館は蘇ったのです。活水女学校は最初の生徒は梅が崎町に住んでいた官梅能子さん一人だった。

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では何故、アメリカは十六番館を22年間も放置していたのか、十六番館が完成した1860年頃のアメリカは国内が混乱していたのです。大統領選挙でリーンカーンが大統領に就任し、奴隷解放宣言したことで、アメリカはアメリカ史上最大の内戦が勃発したからです。長崎の領事館に職員を派遣する状況ではなかったのです。

1961年の南北戦争です。

南北戦争は4年間も続き、64万人のアメリカ人が戦争で亡くなり、日本の領事館に職員を派遣するような国内事情では無かったのです。日本にかまってる余裕がなくなっていたからです。

16番館は建った時から数奇な運命をたどり、現在も南山手に廃墟のうような姿を晒しています。

その16番館が資料館として開館していた時に16番館を訪れた遠藤周作が展示されていた一つの踏み絵を見て構想したのが2回も映画になった名作「沈黙」です。

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遠藤周作が沈黙を構想したきっかけとなった踏み絵が、数奇な運命というか運命の悪戯というか私の事務所に保管されています。

下の写真の踏み絵です。

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きょうも、フェイスブックから浅田五郎さんの投稿を紹介します。

浅田 五郎
https://www.facebook.com/asada.goro

浅田五郎

「長崎の吟行地」
この著者は岩川町で開業医山田久先生です。

この著は俳人山田ひさし先生が吟行地24ヶ所を選んで説明し同時に作句された俳句を提示して解説を加えたとあります。

俳句の作品は県医師会報に連載していた作品です。私は24ヶ所を読みその中でも長崎の歴史と文化を語るにふさわしい場所の解説にいい勉強をさせてもらいました。

西坂・二十六聖人殉教地、大浦天主堂、如己堂と永井隆記念館、ポンペ会館とポンペの実像、興福寺、小説「沈黙」と遠藤周作作文学館、伊王島など読むと長崎とキリシタンさらに小島養生所、ポンペと県庁跡地の歴史など本当に勉強になりました。

 
[ 2019年2月14日 ]

 

 

 

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