アイコン 石炭商「佐藤慶太郎」の「山の上ホテル」閉館へ 翁の系譜


若松の石炭商「佐藤慶太郎」という人物を知っている人は少ないだろうが、東京府(上野)美術館(初代)の建設費全額を寄付した人でもある。東京府が寄付を募っても集まらず、建設が暗礁に乗り上げる中、建設費全額を寄付したのが佐藤慶太郎氏、直後、関東大震災、復興優先で建設が少し遅れ、その間、寄付金が金利で増加、潤沢な資金で建設費や美術品収集に利用されたという。

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<佐藤慶太郎翁>
石炭商に実質婿入りし、「石炭の神様」とまで言われるほど石炭を分析し用途別に商売、一時石炭の採掘も行ったが53歳で実業の世界から離れる。
「富みて死すは、富者の恥辱なり」(米鉄鋼王カーネギー)を信望し、33歳から育英資金を創設している。

明治元年生まれ(1868年)、遠賀郡陣原出身(現、北九州市八幡西区)
福岡県立英語専修修猷館(現、修猷館高校)
修猷館中退し明治法律学校(現、明治大学)入学、23歳で卒業
25歳、若松の石炭商の山本周太郎商店に就職(娘と結婚)
33歳、独立、育英資金創設
上海支店など海外へも出店し財を成す
53歳、一線退く
54歳、東京府美術館建設費用100万円寄付(現価、約800億円)
第一次大戦後の不況時で寄付集まらず
55歳、バセドー氏病の権威の野口雄三郎博士を支援、ドイツ留学費や別府の野口病院建設費寄付。
57歳、(母校)明治大学の女子部の建設資金寄付
    福岡農士学校創設(現、福岡市早良区脇山) 
67歳、別府温泉郷に新居
69歳、静岡・函南に青年練成目的の聖農学園創設
70歳、全額負担して神田駿河台に「佐藤新興生活館」(現、山の上ホテル)オープン。
  (GHQ接収、陸軍女子部隊宿舎、返却後、ホテルとして運営される)
73歳、昭和15年(1940年)に病死、遺言により全遺産180万円を別府市美術館建設費など多くの案件に寄付。

麻生太郎元首相の曽祖父の石炭王「麻生太吉」から、
「自分らから言えばタカが知れた財で良くぞ、思い切った寄付ができるものだ」(筑豊には3人の石炭王、佐藤は一桁小さい6番目くらい)と。
それに対し佐藤は「寄付をなされたらいかがか」、麻生は「それができるようならば、君に関心など示さない」という話が残っている。
佐藤と親交もある先輩の炭鉱王の一人安川敬一郎(現、安川電機の創業者)は明治専門学校(現、国立九州工業大学)を寄付している。
日本にはもうオーナー企業の大手がほとんどなくなり、巨額寄付する創業者や企業はなくなっている。何でもかんでも恩着せがましく政府が行っている。

日本國は小泉政権以来、学術研究予算が限りなく減少し続けており、大学発ベンチャー企業も限りなく少なくなってきている。
公的機関、企業、ベンチャーキャピタルなどが、ベンチャー企業のアイデアだけでも出資する米国も中国も竹の子状態が続いている。

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[ 2023年10月24日 ]

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