アイコン おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし(長崎市長選挙)

 

 

平成最後の市長選挙が4月14日(日曜日)告示され、4月21日(日曜日)投開票が行われる。

昭和22年(1947)4月5日、終戦後初の公選初代市長に当選した大橋 博氏は1期だけ市長を務めたが、2期目(昭和26年4月)に日本社会党の推薦を受けて立候補したが、保守系新人の田川務氏(弁護士)にダブルスコアーの大差で敗れている。    

田川務氏は昭和26年(1951/04/23 )から昭和42年(1967/04/28 )まで4期16年の長きにわたり長崎市長を務め、敗戦と被曝の中で荒廃した長崎市の復興に尽力している。

昭和42年(1967)田川市長は4期目の任期切れに伴う市長選に出馬せず政界引退。

昭和42年(1967)4月の市長選挙には保守系の諸谷義武氏が、同じ保守系の鈴田正武氏を破り初当選、その後、3期12年、長崎市長を務めたが、4期目を目指した昭和54年(1979)4月の市長選挙で、同じ保守系新人で長崎県議会議員を4期20年務めた本島等氏に大差で敗れている。

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下記はその時の選挙結果である。

当  得票数         候補者名      

○  107103 ---  本島 等(新人)(保守系無所属)                   
     49069 ---  諸谷 義武(3期) (保守系無所属)   
     10978 ---  深町 孝郎 (新人) (日本共産党) 

諸谷市長の4選を阻止した本島氏は、その後4期16年、長崎市長を務め、平成7年(1995)4月、前人未到の5期目を目指したが、同じく県議会議員だった伊藤一長氏に大敗している。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとく敗れ去っている。

下記がその時の選挙結果である。

平成7年(1995)4月
当  得票数      候補者名      
○  105670 ---  伊藤 一長 (保守系新人)
     60897 ---   本島 等   現 (4) 無所属  
     33867 ---  浅田 五郎  (保守系新人)
     19541 ---  茅野 丈二   無所属 新人            
       325 ---  若島 征四郎   新 --  政治結社正氣塾      

保守分裂と言われた選挙だったが、三つ巴の戦いを制したのは伊藤一長氏だった。

本島等氏、73歳、浅田五郎氏58歳、伊藤一長氏50歳の時である。

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その伊藤一長氏が4選確実と言われながら平成19年(2007)4月17日、あの忌まわしい悪夢のような凶弾に倒れてから12年が経過しようとしている。

伊藤一長市長が死亡したことを受け、4月19日、長崎市長選挙に補充立候補した伊藤氏の娘婿・横尾誠氏に対して長崎市役所の職員だった田上富久氏が立候補、「市政は、一人のものでもなければ、もちろん、家族(伊藤・横尾両家)のものでもありません。このような形で、新しい市長が決まっていいのだろうかと…」と、市民力を訴えた田上氏が横尾氏を953票差で降して当選している。

田上富久氏、50歳の時である。

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世の中も平成から令和、あれから12年、公約だった3期12年が終わろうとしている。

田上富久、62歳、平成の名市長と惜しまれて亡くなられた伊藤一長氏の享年と同じ年齢である。

もうよかろう。

黄色い「長崎を変える」のカエルポスターが『風林火山』の旗のように長崎の街を埋め尽くしている。

かえる

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[ 2019年4月10日 ]

 

 

 

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