アイコン 北朝鮮 寧辺核施設とは 寧辺原子力研究センター 過去の協議 

 

 

寧辺の核施設は、1961年に設立された寧辺原子力研究センター。当研究センターは、平壌の北約80km、寧辺市の南西約5kmの平安北道寧辺郡分江地区九龍江の屈曲点に位置し、敷地面積は8.92万平方km(270万坪)。「寧辺の核施設」と呼ばれているが、一帯には400棟以上の核関連施設がある。

1965年に竣工したソ連製の研究用原子炉(IRT-2000/5000kW/53年経過)の運営に続き、5MWe(メガワット/黒鉛減速・炭酸ガス冷却炉)原子炉が1986年(32年経過)に稼動を始めたことで、寧辺は北朝鮮核の核心施設に定着した。
ほかに臨界実験装置、放射化学研究所(プルトニウム再処理施設)、核燃料製造貯蔵施設、放射性同位元素生産加工研究所、放射性廃棄物貯蔵施設などを運用している。

北朝鮮が保有するプルトニウムの大半を生産したと推定される5MWe原子炉は、北朝鮮内の豊富なウラン鉱山産の天然ウランを加工し、燃料として稼動させている。
ここで抽出された使用済み核燃料棒を、隣に位置する放射化学実験室で再処理し、年間6~7キログラムの核兵器用プルトニウムを抽出。
2018年の韓国国防白書は、北朝鮮のプルトニウム保有量を約50キログラムと推定しているが、実際は不明。

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現在、寧辺核施設の中で最も注目されるのは、2010年11月に稼動の事実が公開されたウラン濃縮施設。
北朝鮮は当時、米国の著名な核物理学者シグフリード・ヘッカー・スタンフォード大学国際安保協力センター先任研究員らを同施設に招待し、高濃縮ウランを生産できる遠心分離器2000基を公開している。
濃縮施設は2013年には2倍に拡張されたことが確認されているが、一度も国際社会の査察を受けていない施設。

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<これまで何度も解体に合意している>1度あることは2度あり3度ある。
寧辺の核施設が北朝鮮の非核化プロセスの中心となったのは、
1993年の「第1次北朝鮮核危機」の時から。
1992年、北朝鮮が国際原子力機関(IAEA)に提出した申告書の不一致問題などを契機に開かれた米朝高官級会談が行われ、
1994年の米朝枠組み合意につながり、両国は初めて寧辺核施設内の5MWe原子炉と関連施設の凍結・解体に合意した。
 
寧辺の核心施設だった5MWe原子炉は、その後も稼動と中断を繰り返した。
2002年にブッシュ米大統領の対北朝鮮重油支援の中断とテロ支援国家の指定などに反発し、北朝鮮は「核活動凍結の解除宣言」を行い、
2006年10月9日には初めて核実験を行った。
2007年の6ヶ国協議の結果、寧辺の核施設は再び閉鎖された。
2008年、北朝鮮は約1万8千ページに達する寧辺の原子炉稼動日誌と核申告書を米国側に提出。
2008年6月、5千キロワット黒鉛減速炉に通じる冷却塔を爆破するパフォーマンス実施
2009年5月25日、2回目の核実験
 
2012年、米朝が最後に寧辺の核活動の中止に合意したのは「寧辺ウラン濃縮活動の臨時中止」(モラトリアム)と国際原子力機関(IAEA)の査察に合意した2.29合意だった。
2013年2月、3回目の核実験、金正恩体制では初
2013年4月、北朝鮮は寧辺の5MWe原子炉を再稼働したが、現在は稼動を中断したものと見られる。
 
こうした核開発資金に、韓国が太陽政策に基づき北朝鮮に供与した2000億円以上の無償や有償の借款、韓国の統治者どもは反省のハの字にも言及していない。

 

北朝鮮の核爆弾実験履歴
 
実験日
時代
1回
2006年10月9日
金正日
2回
2009年5月25日
3回
2013年2月12日
金正恩
4回
2016年1月6日
5回
2016年9月9日
6回
2017年9月3日
・実験地はいずれも豊渓里核実験場

 

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[ 2019年2月20日 ]

 

 

 

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