アイコン 山路敬介氏寄稿 沖縄を縛る自己決定権イデオロギー その1

 

 

韓国にはうんざり、今や日本人にとって韓国という国は疲れるだけの関わりたくない外国だが、沖縄は国内問題として関わらんというわけにはいかない。

それでも辺野古にはうんざりしているというのが大方の日本人の思いだろう。それは沖縄県民だって同じ思いだという事が先日の県民投票の投票率52%で明らかになった。

きょうも、(農と島のありんくりん)の山路敬介氏寄稿を読んでみてください。さすがに秀逸です。

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農と島のありんくりん
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移り変わる自然、移り変わる世情の中で、真実らしきものを探求する

2019年3月 4日 (月)

山路敬介氏寄稿 沖縄を縛る自己決定権イデオロギー その1

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山路氏から寄稿を賜りました。ありがとうございます。

タイトルは編者がつけさせて頂きました。

                                ~~~~~~~
                       ■沖縄を縛る自己決定権イデオロギー  その1
                                                                                 山路敬介

■デニー知事は「対案」を出せないし、傀儡で終わるしかない
 
 県民投票は「圧倒的民意」はおろか、その投票率の低さから「過半」も達成出来ない結果となりました。

こう言うと、「「反対」への投票率が7割以上を占めたではないか」と反発を言う人もいるでしょうが、国会議員や首長・地方議員たちを選ぶ選挙とは違います。

法律に基づかない今回の県民投票の趣旨と目的はあくまで「民意を測る」ための手段なので、絶対得票率で結果を見なければなりません。

もし、「投票しなかった人々は県民でない」とするならば別ですが、考慮する分母は全有権者数とならざるを得ないのです。

そうすると、県民投票の結果が示すところは「全県的にみて、辺野古移設反対者は37.5%であった」と正確に言われなければなりません。

そして、この結果は前回県民投票の53%に比較するならば、さらに「米軍基地問題への県民の関心は薄らいだ」と言わざるを得ないでしょう。

新聞はもちろんの事、テレビを付ければテレビから、街中を歩けば掲示物だらけで、だれも来なそうな農道を行ってもノボリが列を成して立ってる。

ネットを開けても、YouTubeを視聴してさえも動画前CMで「県民投票へ行こう!」のオンパレード。家に帰ればチラシが毎日ポストに入っているし、夜は夜でわずかな伝手を頼って本島からの知らない人の来訪を度々受け、私のまわりは反対派の主張だらけでした。まさに「寝ても起きても」です。

どれだけ潤沢なのか知りもしませんが、県の金庫から大枚かけて明けても暮れてもうんざりするほどの「県民投票へ行こう」の過剰宣伝と反対派の主張のなか、それでも約半数が投票に行かなかった事の意味はきわめて重いものです。

マスコミや県当局はその事の意味を徹底的に精査・解読すべきであって、議員たちはそこにこそ政治の光を当てるべきです。

ようは、勝者は「それですらも、もの言わぬ県民」だったのであり、県民投票のそのような結果をふまえるならば、政府が政策変更するような局面とは「ほど遠い」と言わざるを得ません。

宜野湾の松川市長にして、「投票率が五割ほどで、民意を測れたのかは疑念がある」や、「普天間の危険性の除去に触れられておらず、このような結果になるのが自然」と言わしめたのは当然です。

しかも、あのように設問自体に前提を欠いた「欠陥アンケート」であるにもかからわらず、意外な事に「賛成者」を11万人以上も出してしまったのです。

二紙によれば「世界が注目する県民投票」だったらしいのですが、これではその「世界」とやらも内心ではズッコケる他ないでしょう。

くわえて今回の県民投票では自民党をほとんど沈黙させる事に成功していて、一般市民でも例えばヒジャイさん(又吉康隆氏)のように、その知性や理性的の判断から当然の帰結として、「断固たる信念」でボイコットを言い続けた人もあります。

大きな声で言えませんし、私の個人的な見解として受け止めて頂きたいですが、わが宮古島市の下地市長ですらも投票に行った形跡がありません。

投票運動は予想どおり、「反対派による、反対派のための、反対派による投票」に終始しました。 くわえて、「どちらでもない」は目論見どおり5万票あまりと押さえられたのです。

あらかじめ普天間移設を「問い」から外す事も、マスコミとの全面的な共闘もでき、なおかつ自民党のドタバタもあり、反対派には追い風しか吹いていませんでした。

それにしては、明らかになった37.5%しか反対者がいない結果は、運動側にとって、真実を前にした「致命的なマイナス」だったのではないでしょうか。

■デニー知事の目論見ははずれた

投票結果を受けた記者会見でのデニー知事は笑顔もなく、私には浮かない表情に見えました。

記者から「六割が「反対」に投じなかった事実をどうみるか?」と問われ、「そのような事は考えていない」といい、「四分の一超が「反対」であり、そのことが重要」と返しました。

「結果をうけて「再撤回」を考えているか?」との質問には直接答えず、今現在の状況が撤回中である旨を言うのみでした。

巷での「民意はしめされた」と凱歌をあげていた連中はともかく、どうも結果はデニー知事の考える目論見を肝心なところで下回った事は間違いないように思えます。

ところで今回の「撤回」では、既に分かっている事なので、県は来る高裁での訴訟において県民投票の結果も「多数の民意」としての主張はせざるを得ないのではないかと思います。

ただ、六割以上が「辺野古反対」の意思を示さない中ではやはり主張としては少し弱く、まして県が次に想定していた「民意による公益撤回(再撤回)」の可能性は、高裁での主張をせざるを得ない以上、一般常識的には「ほぼ閉ざされた」と言っていいと思います。

しかし、沖縄県の「非常識」によって、デニー知事は今回の撤回訴訟での敗訴確定後には民意による「再撤回」を試みる愚行に走らざるを得なくなるものと考えます。

現在の「撤回」はデニー知事の判断ではなく、選良ですらない謝花副知事の判断によるものです。

デニー知事は訴訟よりも政府との「話し合いによる解決」を常々言っており、それが達成可能な最良の解決方法であると本気で信じているのかも知れない、いわゆる「政治的平和主義者」でもあります。

県民感情をいたずらに利用したり、さほどありもしない自らの情緒性を過剰演出したりする翁長氏と根本的に違い、デニーさんは腹に一物おけない、分かりやすい「いい人」でもあります。

反面、リーダーシップが乏しく、本来的に争い事に向かない政治家です。

そのような政治家は妥協が身上なので、この「妥協」こそは「沖縄からの全軍撤退」を目指す共産党や核心的辺野古反対主義者が嫌い、また警戒するところでもあります。

彼らの特殊な歴史観でいえば、これまで「話し合い」という名の妥協によって本土に巻かれ、後退し続けた結果が、今ある「沖縄の現在」の姿なのであって、その危険性と疑念を翁長知事に対しても当然持っていたし、デニー知事に対しても同様の懸念がありました。

そうであれば、あらかじめ現知事には特に「縛り」をかけて、知事の政治的自由度を失わしめ、安倍政権との妥協を防ぐ狙いが県民投票にはあったという事は前回の記事で申したとおりです。

狡猾に県民投票を避け続けた翁長知事ならば、交渉テクニックとして政府に「妥協の余地はあるかも」と思わせて別のものを引っ張り出す妙手とすることが出来たのに、やはり二代目はダメです。

これでは3月1日に安倍さんと会ったところで「子供の使い」にもならないし、何ものも引き出せない結果に終わるでしょう。

「SACWOの設置」だとか、名前だけ粋につけてみたところで内容は翁長知事がさんざん要望してきたところの二番煎じです。既にそうした二元外交的な案は相手にされるハズのない事柄なので、提案の名に値しません。

                                                                                                                                            (続く)

 
[ 2019年3月 6日 ]

 

 

 

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