アイコン 敬介氏寄稿 沖縄社会の矛盾・後進性や我那覇真子さんの事などその1

 

 

山路さんに寄稿さすがです。すっきりと納得させられます。それにしてもヤラ氏を国政に送り出す今の沖縄県はヤバイです。

一人でも多くの沖縄県民が(農と島のありんくりん)を読んでくれることを信じ、毎日、拡散していきます。

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2019年5月 9日 (木)

敬介氏寄稿 沖縄社会の矛盾・後進性や我那覇真子さんの事などその1

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常に鋭い評論を寄せて頂いている山路さんから 寄稿を頂戴しました。いつもありがとうございます。


                                  ~~~~~

                     ■沖縄社会の矛盾・後進性や我那覇真子さんの事など その1
                                                                                                                                     山路敬介
 
はじめに

 先の衆院補選の結果は十分予想出来たものとはいえ、私には非常にショックな出来事でした。

沖縄県民には「島尻安伊子」ではなく、「屋良朝博」を選択する合理的な理由は一切なかったからです。私はこの「島尻の敗北」こそは、辺野古後の状況や「県民の欠点」を説明出来る特別な出来事だったと考えます。

この敗因の分析については自民県連内部でも意見が多く出、我々のような一般人の立場からもさまざまな角度から話されます。いわく、「(島尻が)辺野古移設に賛成の立場を表明したからだ」という意見がある一方で、そうでなく、逆に「自民県連をあげて、辺野古移設に推進の立場をハッキリ打ち出せなかったからだ」という保守派議員もあります。

屋良朝博は、選挙中の言とはいえ、現に日々埋め立てが進んでいる現状にもかかわらず「辺野古には指一本触れさせない」などとオカルトまがいの事を言い続けました。

県民は、屋良らの国際左派連携による独自ソースから再構築された「米軍辺野古不要論」など信じているわけではありません。屋良に投票した人々を含め、もはや県民のほとんどが「辺野古阻止」など実行出来るとは考えてもいません。

屋良に投票した多くの県民にとって「辺野古問題」とは旗印にすぎず、単に象徴的に存在するのみで、別の動機や意味が県民の投票行動に結びついているのです。そこのところが、沖縄問題の根本的本質なのだと言えると思います。

これは全くあり得ない話になりますが、例えば「辺野古の工事を中止」などしたところでさしたる意味はありません。さらに少々うがって言えば、最終的に「沖縄からの全米軍撤去」をしてもその根本はかわらず、そのような処置だけでは「和解」もなく、これまでの本土の歴史的な責任を引き続き日本政府に求め続ける関係性を保持し続ける事になります。

この事は米軍撤去という沖縄革新にとっての「歴史の転換」を成し遂げた以上、きわめて自然な要求と捉えられます。この辺りまで視野に収めているのが屋良氏らのグループの方向性です。

もちろん、多くの屋良氏に投票した支持者をふくめ、沖縄県民が上記のように現在考えているはずがありません。ですが、そういうものを許容してしまう、あるいは引きずられてしまう土壌が沖縄にはあるのです。本記事では、そのあたりの重い意味を主題にして記してみたいと思います。

■ 政策的には正しかった島尻安伊子はなぜ負けたか? 民主主義に抗する沖縄報道

 島尻は早くから県民の関心は「辺野古移設問題」から、自身が得意とする「子供の貧困問題」や「女性問題」「低所得者層の家庭問題」などに移っている事を見抜き、そのことの正しさは3月27日に発表された県民意識調査でも明らかとなりました。

(県民意識調査結果では沖縄県が重点的に取り組むべき政策として、前回調査(平成27年)で1位だった「米軍基地問題の解決促進」を挙げた人は26・2%(前回比10・0ポイント減)にすぎず、2位に転落しています。1位は「子どもの貧困対策の推進」で42・1%でした。)

一方の屋良は、かつてより米軍基地問題にからむ新奇の主張こそ多数の発信してきましたが、今回の選挙戦においては、「子供の貧困対策」等の主張は島尻の主張をなぞるような低調な主張にとどまり、いかにも付け焼刃的な中身の無いものに過ぎませんでした。

ある自民党県議は島尻の敗因を「島尻さんは、政権と近い事がマイナスになった」と分析しました。そのとおりだと思います。それとともに、島尻が「本土嫁」である事も今回は要因していたと思います。

一般的に政権に近い事が選挙に有利に働くことは当然で、特に島尻の場合は、その事の効果として具体的な実績も豊富でした。

「訓練の移転」など次々と打ち出される基地負担の軽減策だけでなく、「今の沖縄に何が必要か?」を政権に直接アドバイス出来る立場にあり、特に「生活者」や「女性」の目線を重視して進言してきたのが島尻でした。

しかし、そのような島尻の補佐官としての活動は報道される事はなく、それどころか取材さえ行われていません。 島尻は一切無視されて来たのです。

民主主義社会において、マスコミの役割はきわめて重要です。県民は知る事が出来る範囲でしか判断できないのです。偏った報道により非対称の選挙戦を強いられたり、恥ずべき「女に政治は無理」などというポスターを張り出されたりで島尻はさぞかし無念でしょうが、県民にとっての問題の第一は、沖縄には民主主義を行うについて、このように重要な要素や前提が欠けて久しい状態にある事です。

たとえば基地問題において「政府は説明がたりない」とは良く言われる事だし、そういう面もあるでしょう。

また、県民投票のさいに小川和久氏は「防衛省はもっと丁寧に説明すべき」と力説しましたが、なべてそういう言説には意味がありません。

確かに不十分かも知れないが、政府も防衛局も説明はしています。国会の審議だけを見ていてもそれは明らかです。沖縄においては報道がするべきことをしていないのであって、受け手である県民の情報アクセスへの消極性もさらに問題です。

なんでもかんでも、公はつねに「すべて上げ膳・据え膳せよ」というのは間違っています。

ところで、このような現象は県自民党にとって、幾度も直面して来た経験があります。本土からはメディア関連を中心に「反安倍」の応援団が喧しい中でしたが、全面的に「安倍政権だから」と言ったふうにも言えません。

これまでは県経済状況のありようが自民党県連を支えてきました。ところが今は「県経済は革新県政下でも、十分に何とかなっている」という気分が県民の間で生まれてきていて、それが自民県連の存在意義を脅かしています。

「安倍政権のせい」と言えるとすれば、政権の適切な経済運営と「沖縄に寄り添い政策」により、「自分で自分の首を絞めている」という事です。その上前を沖縄の革新がまんまとハネる状況になっているのです。

けれど、さらに重要なのは「翁長後」の沖縄世界においては昔からあった「脱本土」とか、「本土」と「沖縄」を対置して物事を捉える傾向が高齢者層において強固で顕著になり、その事が県民の選択に誤りをもたらし続ける原点だという事です。

沖縄のマスコミは民主主義に寄与していないと私は考えていますが、もちろん沖縄のマスコミ自身はそうは思っていません。彼らは県民の意識を重要視した論調を貫いているという意識が高く、その事を誇りにさえ思っています。

なるほど彼らは県民の深層意識の代弁者であり、「県民にとって有益かどうか」や、「妥当な方向性であるか否か」を別にすれば、ある意味地方紙としての役割を果たしているとも言え、それが彼らが言うところの「民主主義」でもあります。まるで戦前の朝日新聞のミニ版なのです。

翁長が「我々=沖縄県民」という精神的集合体をつくり、あるいはよみがえらせました。これは韓国民における「ウリ」的感覚とも、似て非なるものです。保守を革新に取り込んだ事で、それまで押さえ込まれていた県民のルサンチマンが「解放」されたという言い方もできるでしょう。

この精神的集合体は「政府は沖縄に寄り添っていない」という誤った認識を二紙など既存メディアによって植え付けられ、精神や思考がさらに強くよじ曲がります。(「ルサンチマン」の生成) 

政府という「権力」に対峙する気分の爽やかさを首尾よく得る事で、これを不合理に見下す弱者たる集団性人間特有の道徳感情的弱点を誘発し(「畜群本能」の惹起)、この感情に基づく価値判断の基準(奴隷道徳)を当てはめた結果こそ、まさに「島尻の敗北」の本質と言えると思います。

(一部、論理学の藤原かずえ氏のニーチェ哲学からの論考を参考。
https://ameblo.jp/kazue-fgeewara/entry-12427518905.html

 
[ 2019年5月10日 ]

 

 

 

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