アイコン 山下俊一長崎大副学長 フクシマ爆発、ニコニコ講演に反し深刻な影響示唆

 

 

フクシマ原発大爆発事故の直後、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下俊一・長崎大教授が子どもの甲状腺被ばくについて、「深刻な可能性がある」との見解を示したと、国の研究機関「放射線医学総合研究所」(放医研、千葉市)の文書に記されていたことが分かった。

国の現地派遣要員らが集う「オフサイトセンター(OFC)」にいた放医研職員の保田浩志氏が書き残していた。
 
山下氏は2011年3月21日の午後2時から、福島市内であった講演で「心配いらないと断定する」、「放射線の影響はニコニコ笑っている人には来ません」と発言していたことが知られている。
保田氏によると、この日の昼、県庁内のOFCで山下氏と面会。その結果は放医研内部の連絡のため、同日夜に記録していた。これらに従えば、「深刻」発言は「ニコニコ」の講演と同日にあったことになる。
 
記録によると、「長崎大の山下俊一教授がOFCに来られ、総括班長(経産省)&立崎班長とともに話をうかがいました。山下先生も小児の甲状腺被ばくは深刻なレベルに達する可能性があるとの見解です」と記されていた。
立崎班長は、OFCの医療班長だった放医研職員の立崎英夫氏。
 
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OFCは、事故直後の3月15日に福島県大熊町から県庁へ移転。山下氏の講演会場から徒歩5分の距離だった。
山下氏は書面で、保田氏との面会を認めたうえで「原発事故直後の避難指示区域内の被ばく、特に、放射性ヨウ素の子どもへの影響は最も考慮しなくてはならないとの見解を示したのみ」とした。
「ニコニコ」などと語った講演については、「福島市民への説明。新たな爆発も起きておらず、原発から離れた福島市で深刻な状況は想定されなかった」と説明している。
避難指示区域内と、区域外の福島市の違いにより、見解が異なったとした。
講演があった21日時点の避難指示区域は、原発から20キロ圏内だった。
 
福島県のアドバイザーは、放射線と健康に関する正しい知識を住民に提供する役職。
甲状腺内分泌学が専門の山下氏は、3月19日に委嘱されていた。
 
保田氏は、この後、国連科学委員会の事務局員となり、原発被災者の被ばく線量をまとめた2013年報告書の作成に携わった。現在は広島大教授。
以上、東京新聞参照
 
山下俊一(1952年生):
被爆2世。
国立大学法人長崎大学理事、副学長。
兼、福島県立医科大学副学長(非常勤)、
福島県放射線健康リスク管理アドバイザー。
国際放射線防護委員会(ICRP)の副委員長
都合のよい団体からは「被曝医療の第一人者」と呼ばれ、一方で「安全神話」の伝道師とも呼ばれている。
日本財団によるチェルノブイリ原発爆発後のベラルーシュ病院視察に参加、その後も訪問を続けているが、フクシマ原発による子供の甲状腺がん発生の因果関係を今も否定し続ける福島県立医大をリードする中心人物として知られる。
長崎大学の学長候補
 
履歴
2009年、原子力委員会における原子力安全研究専門部会・環境放射能安全研究分科会構成員。
2011年3月19日、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーに任命
同年4月1日 福島県立医科大学特命教授(非常勤)
同年2011年4月11日~5月31日まで、文部科学省原子力損害賠償紛争審査会委員を務める。
同年7月15日に長崎大大学院教授を研究休職し、福島県立医科大学特命教授・副学長(業務担当)(常勤)兼放射線医学県民健康管理センター長に就任。
 
2013年4月1日付で、研究休職期間満了により長崎大学へ復職し、同大学副学長(福島復興担当)および国立大学法人長崎大学理事(国際・附置研究所担当)国際連携研究戦略本部長兼産学官連携戦略本部長就任。同時に福島県立医科大学副学長は非常勤。
 
<<講演等>>(フクシマ原発爆発は2011年3月12日~15日)
<講演1>2011年3月21日、福島テルサで開かれた講演会
「これから福島という名前は世界中に知れ渡ります。福島、福島、福島、何でも福島。これは凄いですよ。もう、広島・長崎は負けた。福島の名前の方が世界に冠たる響きを持ちます。ピンチはチャンス。最大のチャンスです。
何もしないのに福島有名になっちゃったぞ。これを使わん手はない。何に使う。復興です」、「放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません。クヨクヨしてる人に来ます。
これは明確な動物実験でわかっています。酒飲みの方が幸か不幸か、放射線の影響少ないんですね。決して飲めということではありませんよ。
笑いが皆様方の放射線恐怖症を取り除きます」、「100マイクロシーベルト/hを超さなければ、全く健康に影響及ぼしません。ですから、もう5とか10とか20とかいうレベルで外に出ていいかどうかということは明確です。昨日もいわき市で答えられました(発言ママ)。『今、いわき市で外で遊んでいいですか』、『どんどん遊んでいい』と答えました。福島も同じです。心配することはありません。是非、そのようにお伝えください」と発言した。
 
<講演2>
2011年3月24日の福島市での講演要旨:
放射線はエネルギーとして、1つ覚えてください。1ミリシーベルトの放射線を浴びると皆様方の細胞の遺伝子の1個に傷が付きます。簡単!100ミリシーベルト浴びると100個傷が付きます。これもわかる。じゃあ、浴びた線量に応じて傷が増える。これもわかる、みんな一様に遺伝子に傷が付きます。しかし、我々は生きてます。生きてる細胞はその遺伝子の傷を治します。
いいですか。1ミリシーベルト浴びた。でも翌日は治ってる。これが人間の身体です。 100ミリシーベルト浴びた。99個うまく治した。でも、1個間違って治したかもしれない。この細胞が何十年も経って増えて来て、ガンの芽になるという事を怖がって、いま皆さんが議論している事を健康影響というふうに話をします。まさにこれは確率論です。
事実は1ミリシーベルト浴びると1個の遺伝子に傷が付く、100ミリシーベルト浴びると100個付く。1回にですよ。じゃあ、今問題になっている10マイクロシーベルト、50マイクロシーベルトという値は、実は傷が付いたか付かないかわからん。付かんのです。ここがミソです。
・・・健康への影響は微々たるものだと言えます。一般の住民に対する不安はありません。
 
<講演3>
<飯館村役場での説明会>2011年4月1日
飯舘村で村議会議員と村職員を対象にした非公開のセミナーでは、「今の濃度であれば、放射能に汚染された水や食べものを1ヶ月くらい食べたり、飲んだりしても健康には全く影響はありません」発言。
(山下本人によれば、飯舘村の高い放射線量を、3月24、25日には知っていた。説明会当時、飯館村は避難勧告地域に指定されていなかった)。
 
参加者の一人によれば、山下は「国の言うことは正確なんだから、あなたたちは国の言うことに従ってください。私は学者であり、私の言うことに間違いはないのだから、私の言うことをキチッと聞いていれば、何の心配もない」と語り、「大丈夫」「大丈夫」のオンパレードで、汚染実態を何も知らないまま講演に来たのかとさえ思ったという
質疑
質問:「健康面で安全なのはお話を伺ってわかった。しかし、『安全だ、安全だ』と言われると不安になる人もいる。」
山下:「人間の感性はそういうものであると思う。また、火もとが治まっていないため安心感が持てないでいる。直接的な被ばくは現状が続けば全くない。」
 
質問:「原発の従事者は被ばく上限が年間50mSvであるに対し、一般人は年間1mSvである。差があるのはなぜか。」
山下:「ガンのリスクが上がるのは年間100 mSv以上である。それ未満であればリスクはゼロと考えてよい。」
 
質問:「妊婦や子どもを守っていくことが大切だとの話だが、具体的にはどのような対策を講じればよいのか。」
山下:「一般人の年間の被ばく限度は、1歳の子どもを基準に作成されている。妊産婦は安全なところへ避難された方が精神的なケアも含めて考えると望ましいと思う。ここで頑張ろうと言う人がいてもそれはそれで良いと思う。」
以上、
 
フクシマでは、幼児や少年少女たちが甲状腺がんにかかり手術している現実をどう受け止めているのだろうか。
 
福島県の放射線被害者医療を牽引する山下教授らは、いまだ、フクシマ原発とその子らの甲状腺がんの因果関係を認めようともしていない。
・・・有機水銀による水俣病を否定し続け被害を拡大させた東大の御用学者たちと何が違おうか。
何もかもが狂っている。
こんなんが長崎大学の副学長になるというすばらしく立身出世する国が、お上あっての日本。
 

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[ 2019年1月29日 ]

 

 

 

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