アイコン 山路敬介氏寄稿 県民投票・自民県連はなぜ大敗したのか 最終回

 

 

私は昭和53年6月、23歳の時、平安座島の国家備蓄の石油タンクなどのプラント関係の仕事で沖縄に行き、あれ以来、40数年間沖縄と関係している。

子供たちは4人全員がウチナーンチュとして生まれ、3人が沖縄で沖縄県民として暮らしている。ウチナーンチュの孫だけで10人いる。

長崎・熊本は私の先祖の土地だが、沖縄は私の子孫の土地である。

私が住んでたあの頃の沖縄は経済的には貧しくはあったが、お金には代えられない豊さがあった。

今の沖縄を見ていて心配で堪らない。

そんなわけで、きょうも(農と島のありんくりん)を読んでます。

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農と島のありんくりん
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移り変わる自然、移り変わる世情の中で、真実らしきものを探求する

2019年2月9日 (土)

山路敬介氏寄稿 県民投票・自民県連はなぜ大敗したのか 最終回

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山路さんの最終回です。ありがとうございました。

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      ■山路敬介氏寄稿 県民投票・自民県連はなぜ大敗したのか 最終回
                                                                                               山路敬介

 

■ 5市長たちの判断を「違法」とした謝花副知事の傲慢

市議会の再議での否決をうけて、「県民投票」を行わない旨を最初に表明したのは下地宮古島市長でした。

その後に次々と他の市長たちの意思表示がつづきましたが、早々と謝花副市長による「事務処理を行う事は義務」で、それを成さない事は「違法である」との見解が出されています。

その根拠は地方自治法177条には「議会で否決されても、経費を支出することができる」と規定されていることや、県条例による「再議に付すものとする」等々から、義務的な執行であると解釈すべきというものです。

これは私も一般論としてみれば、その通りと思います。

しかし、今回のケースはもっと詳細に分別して見るべきで、おそらく訴訟などの場では県の側に理がなかったろうと思います。

多くの県民やほとんどの国民が理解は、下地市長らの抵抗には法的裏づけはなく、2月24日県民投票の実施という条例に定められた日程を意識した「政治的賭け」に勝ったものであろう、との認識ではないでしょうか。

しかし、そうではありません。

他の市長たちの事は詳らかにわかりませんが、下地市長の考えは県が「技術的助言」から「勧告」にすすみ、「是正の要求」が出れば自治紛争処理委員会への申し立てを行う、という法的決着を念頭においた自信と決意をハッキリ持っていました。

■宮崎衆議院議員の勉強資料をプロパガンダにつかう沖タイ

そのようななか、1月12日の沖縄タイムスはまるでスクープででもあるかのように一面大半を用い、宮崎衆議院議員が勉強会で用いたレジュメのペーパーの事を大きく取り上げました。

見出しは「不参加判断の根拠か、自民国会議員が作成」とし、リードで「沖縄タイムスは1月12日までに~複数の資料を入手した」となっていて、私はびっくりして思わず卒倒しそうでした。

議員でも記者でも、自民党員ですらない私が持っているものと同じものだったからです。

「さすが沖タイ!」、手をたたいて大爆笑でした。

このペーパーはたぶん12月20日頃には私の手元にあったと思うのですが、誰から頂いたものかも思い出せません。

一読して「裁判官はこのような判断はしないだろうな」という感じだったので、うっちゃっておいたのです。

下地市長がこれに目を通したかどうか定かではありませんが、この説を「不参加判断の根拠」としたという事はあり得ません。

しかしその後、このペーパーにあるような論理を否定する専門家の意見が連日多数二紙に載せられ、そこから5市長らの主張を退ける事に成功しているかのような紙面構成が続きました。

まさに「空を切っている」ような議論です。その多くは宮崎氏がポイントとした「義務費か否か」であり、義務費であれば当然に「執行する義務」があるというものでした。

沖縄二紙はじめ多くの方々はお忘れかもしれませんが、五市長は県条令の発効を重んじ、市の原案として市議会で「義務費」として議会にかけているのです。

執行されるときには「義務費」として計上されるのですから、これは当然です。また、条令そのものが違法であるとの判断をしているわけでもないのは、議会提案をしている事から言うまでもない事です。

しかし、市議会にて否決され、再議に付しても再び否決されます。それでも原案執行権を行使せねばならない事かどうかという判断は、やはり基本的には市長の裁量の範疇でしょう。

何でもかんでも県の決定に服さなければならないとすれば、これはもう機関委任事務時代に逆もどりであり、都道府県と普通地方公共団体の平等の原則に反します。

ですから、ここは法文との整合性と考え合わせると、「条令の内容による」と考えざるを得ないのです。

ちなみに、沖タイに県幹部の話として載っていましたが「出向者などの給与は義務費で、それが市長の判断で執行されないとなれば大問題だ」というもので、それはそうでしょう。

しかし、そういうケースでの裁量権が市長にあるとは考えられず、これは明確に違法でしょう。

たぶん最初の下地市長の会見を最初から最後まで聞いておれば分かったと思うのですが、市長は「諮問的住民投票だ」といい、「住民投票もいろいろある」という事を言いました。

訴訟をにらんでそれ以上の事を言わなかったのか、メディア嫌いなのかわかりませんが、聞かれもしない事は慎んでいたように思います。

法律や政令は、条例とは手続きや取扱のうえで明確な違いがあります。

住民投票の類型は「法律を根拠とするもの」と「法律に基づかないもの」と二つにわかれ、その種類も、法律に根拠がある「拘束的住民投票」と、法律を根拠としない住民の多数意見を知るためにする「諮問的住民投票」があります。

今回の住民投票はもちろん法律に基づかない「拘束的住民投票」であり、そこに至ってまで議会の反対を押し切って原案を執行すべき義務が市長に課せられるはずはありません。

まして、逆にそこまで市長の原案執行権を拡大解釈していいのか、という別の問題も生起します。

保守派を自任する天方弁護士は沖タイ紙で、「住民投票は民主主義や国民主権を補完する意味であり、市長の判断で止めるべきではない」としましたが、本末転倒でしょう。

憲法に明記されているように我が国は国民主権国家であり、その実行の多くは民主主義的な選挙で選ばれた首長であり各議員たちが担っているので住民投票は確かにそれらを補完する手段でしょうが、議員たちがする判断を覆す判断になり得るとは言えません。

■でなかった県の「是正要求」

また、この騒動で一番私が注目していたのが、国の関与である「是正の要求」が出るか否かでした。

それまでの「助言」や「勧告」は県の判断で出せるのですが、「是正の要求」となると国のお墨付きとなるからです。

市の事務の処理が法令に違反していると認められるときや、著しく適正を欠き、かつ明らかに公益を害しているときは国は県を介して市に対し「是正の要求」を出すものとしています。

これはデニー知事が五市抜きでの県民投票を決断したことや、その後三択での論議が出てきたので、うやむやになった感じがありますが、結果的には出ていません。

総務省行政課の担当者は記者から県民投票の実施は市町村の義務かどうかを問われ、「地方自治法では『条例の定めるところによる』としている。それは最終的に条令の解釈の話であり、一般論としては答えられない」としています。

その後、大臣も「条例の内容による」と答えています。

そうなると、知事が1月12日に「来週にも是正の要求をする予定」とハッキリ二紙が報道した事や、謝花副知事が市長らのした事を傲慢にも「違法」と決めつけた事はどうなのか。まったく面白くない幕切れでした。

                                                                                                                             了
                                           文責 山路 敬介

 
[ 2019年2月14日 ]

 

 

 

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